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学問の大禁忌は作輟なり。或は作し或は輟むることありては遂に成就することなし。故に片時も此の緩がせなくするを、その志を持すると云う。(吉田松陰、「講孟箚記」安政二年七月二十六日)
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これの次は「前」の話(京極夏彦『後巷説百物語』)
2009年08月13日 (木) | 編集 |
後巷説百物語 (Kwai books)後巷説百物語 (Kwai books)
(2003/12)
京極 夏彦

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■京極夏彦(著)『後巷説百物語』(角川書店)

既に文庫もでてるけど、好きだから単行本を買う。
久々に楽しめました。

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いつでもこわい(京極夏彦『幽談』)
2009年08月13日 (木) | 編集 |
幽談 (幽BOOKS)幽談 (幽BOOKS)
(2008/07/16)
京極夏彦

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■京極夏彦(著)『幽談』(メディアファクトリー)

これから夏がくるし、夜の怪談に・・・って、大分前に書こうとして、気付いたらもう立秋過ぎちゃってる。
あーあ。

最後の「こわいはなし」は、この著者ならもう少し深まりそうな気もしたのだけれど。
「成人」が恐いと思ったけど、やっぱり一番やなのは「下の人」かな。
思い出したらまた恐くなってきた。ひー。

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ううーん(泉鏡花『婦系図』後篇)
2009年06月23日 (火) | 編集 |
婦系図 (後篇) (岩波文庫)婦系図 (後篇) (岩波文庫)
(1951/03)
泉 鏡花

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■泉鏡花(著)『婦系図』後篇(岩波文庫)

最後、早瀬主税の口調の変貌がすごい。

この「婦系図」は1907年(明治40年)、鏡花およそ35歳頃に新聞に連載された作品だそうだ。
当時の婚姻や恋愛習慣がどのようであったのか詳細は知らないが、どうもこれを読む限りでは、今も当時も個人におけるそれらの物語は大差ないように思える。

では何が違うか。

それは、おそらく作品を読む人の数だけポイントを見つけることができそうだが、私が思うに、「死の近さ」だ。とても簡単に人が死ぬ。だからといってその死が軽々しく扱われているわけではないが、きっちり描かれて、大抵誰かが死ぬ。また登場人物の皆々も、そうやって割りとあっさり人が死ぬ=自分が死ぬことを了解しつつも(それ故にか)熱く一本気なところがある。
とまあ、そんな気がした。


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紅葉の弟子(泉鏡花『婦系図』上巻)
2009年06月19日 (金) | 編集 |
婦系図 (前篇) (岩波文庫)婦系図 (前篇) (岩波文庫)
(1951/02)
泉 鏡花

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泉鏡花『婦系図』上(岩波文庫)


鏡花というと「眉かくしの霊」などの短篇や「高野聖」「草迷宮」「海神別荘」「春昼」は読んだけれど、なんかこの「婦系図」はちょっと筋が(文ではない)一風変わっているような・・・?相変わらず面白いけど。

主税と蔦吉の有名な湯島の別れの場面は、原作には出てきません。
てのも有名な話で。

お妙さんは素敵な令嬢。
その御父君の酒井先生とくると、これがまた腹の立てようがすてきっ。

復讐劇がはじまるという下巻が楽しみ。

そして「歌行燈」も、文庫を買ったまま部屋のどこかにあるはず。探さねば。


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ハギノ(円地文子「雪燃え」)
2009年05月18日 (月) | 編集 |
円地文子全集〈第9巻〉 (1978年)円地文子全集〈第9巻〉 (1978年)
(1978/02)
円地 文子

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円地文子(著)
「雪燃え」(『円地文子全集第九巻』新潮社に所収)

知人に勧められて早速読んだ本。
多分、いまは集英社文庫で入手できるのでは。

通俗小説の大傑作!
昼ドラマで上映されたらバッチリなのでは。もちろん夜のドラマでも構わないが。

特に最後がよかった。

文章がまた素晴らしい。

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当麻曼荼羅(折口信夫「死者の書」)
2009年05月04日 (月) | 編集 |
折口信夫 (ちくま日本文学全集)折口信夫 (ちくま日本文学全集)
(1993/08)
折口 信夫

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折口信夫
「死者の書」(『ちくま日本文学全集59 折口信夫』所収)

いま新しくなった「ちくま日本文学全集」が出ているけれど、それにも折口信夫は入っているはず。

安藤礼二(著)『光の曼陀羅 日本文学論』(講談社)が面白そうで、そういえばもとになっている「死者の書」を読んでないよ!なんてこった!というわけで読んだのだった。

はじめ、死者のめざめ・よみがえりの場面で、これは大津皇子か?と思いながら読んでいたら、どうやらちがったらしい。いや、全くちがうわけではないのだけれど、ともかく天若日子の物語が重要らしい。それが中将姫伝説とからみあって、なんとも幻想的なはなしになっている。

もうね、これは折口の文章がなんともいえないほどあやしいのです。
実際に読むしかないですな。

それにしても、8世紀の日本の人口はどれくらいだったのだろうか。
夜の闇はどれほどの暗さだったのだろうか。
月の大きさはどんな巨大に感じられたのだろうか。
そして山々の重なり合う姿は、浮かぶ雲は、さぞや天を思わせたことだろう。

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テーマと表現のバランスって難しい(北條民雄「いのちの初夜」他)
2009年04月20日 (月) | 編集 |
ハンセン病文学全集〈第1巻〉小説1ハンセン病文学全集〈第1巻〉小説1
(2002/09)
加賀 乙彦

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北條民雄(著)
「いのちの初夜」
「癩院受胎」
(どちらも『ハンセン病文学全集』第1巻、皓星社に所収)

昨年末頃、読んでた本。イルミネーションで世間がきらきらしている時に、読んでた本。(だからどうした。)
石原吉郎が、この「いのちの初夜」を読んで衝撃を受けたというので。

なんというか、確かに大事な作品だとは思うのだけれど、どうもちょっと。
哲学的なことばづかいがあからさまで、文学作品としてはどうなのかと。
こういう書き方が流行した時代だったのかしらん(悪い意味ではなく)。けれども、そうやって「かつての流行」として現代には古臭く感じられてしまうようでは、やはり作品としてはどうなのかと。

もちろん、扱われているテーマは別の問題。

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愛せませんか(花田清輝『鳥獣戯話/小説平家』)
2009年04月20日 (月) | 編集 |
鳥獣戯話;小説平家 (講談社文芸文庫)鳥獣戯話;小説平家 (講談社文芸文庫)
(1988/10)
花田 清輝

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花田清輝(著)『鳥獣戯話/小説平家』(講談社文芸文庫)

半月ばかし前に読んだのをまた書いてなかった。
というわけで、読みたてホヤホヤの熱がまた冷めてしまったというか、忘れてしまった。
でも面白かったです。

『鳥獣戯話』のほうの「みみずく大名」は、以前読んだことがありました。
そこで武田信虎の迫力というか魅力に興奮したのでした。

『小説平家』のほうは、今回はじめて読みました。
平家物語の作者を海野小太郎幸長という人物だと仮定(?)したところから、いやあ素晴らしい展開。
自分のかつてのゼミ等の関連からあげると、第五章「聖人絵」で親鸞(の曾孫)と話がつながった時は、なんだかもう不思議な満足感でした。

文庫のうしろのほうに、佐々木基一氏による「著者に代わって読者へ」で引用されている花田の一文が、本当にぴったり。
(ということは、佐々木基一という人はとても素敵な読み手なのだろう。)

「花鳥風詠」という短いエッセイの中で、花田清輝はこんなことを云っている。
「人間が人間を愛するということは、算術しか知らない連中が、いきなり、高等数学の問題を解こうとするようなものであって、われわれはまず、人間を愛する前に、木や岩や雲を愛することからはじめなければならない、といったような意味のことを、どこかでカーソン・マッカラーズの小説の登場人物の一人がいっていた。名言である。花鳥風詠とは、本来、そういうものなのであろう。
 (中略)
 したがって、わたしは、高浜虚子ではないが、花鳥風詠からはじめることに大賛成だ。しかし、そこでおわってしまっては、つまらないとおもう。それは、あくまで第一課である。われわれは、鉱物から植物へ、植物から動物へ、そして、動物から人間へと――つまり、一言にしていえば、われわれの心をひかれる対象を、段階を追って、しだいに単純なものから複雑なものへと、取り替えて行くべきであった。」
(385ページ)



ああ、強いなあ。
ただし私が思うに、やっぱり、なにかを愛していくことというのは「そこでおわってしまっては、つまらない」からすることなんだ。(まあ更に思うに、生きてく何事もつまらないことにならないようにすることなんだけど。)

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贋・理解者(富士正晴『贋・久坂葉子伝』)
2009年03月20日 (金) | 編集 |
贋・久坂葉子伝 (講談社文芸文庫)贋・久坂葉子伝 (講談社文芸文庫)
(2007/08/11)
富士 正晴

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富士正晴『贋・久坂葉子伝』(講談社文芸文庫)

これまた分厚い本でした。文庫にして599ページ。解説やら全てをいれれば600ページを超えています。
富士正晴にここまで思われた久坂葉子は、どれほど魅力的だったのだろうか。私は久坂の書いたものを読んだことがあるが、それは熱く正直で、妙に爽やかで悲しい感じを受けた。と、これだけ書くと富士正晴と似た感じだが、両者は全然違う。

 わたしにはどうも久坂葉子がシンデレラ姫だとは思えなかった。「幾度目かの最期」という私小説は、いつもわたしを苛々させる。自殺する人間は、何と得手勝手な時限爆弾をしかけて行くのだろう。そいつは自分を苦しめた世界をばらばらにくだいてしまいたいから死ぬのではあるまいか。世界の中で最も自分に手近な自分自身を爆発させて、そいつを世界爆発の口火にするのではあるまいか。こいつ、水爆の先を行きやがったと、私は下卑た感想を口に出したのである。親達がやり切れながるのも無理はない。けれど又、親達をやり切れながるのも無理はないのだ。
(532ページ)


ここにどれだけの理解と愛情と冷静さが書かれていることか。
と思った。でも同時に、
それだけの理解者であっても、愛情と冷静さがあっても、どうしようもないことがあるのか。
とも思った。

タイトルにある「贋」の文字。これこそ嘘なんじゃないのか。
本当の伝記のようだ。

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愛の自傷行為(倉橋由美子『暗い旅』)
2009年02月04日 (水) | 編集 |
暗い旅 (河出文庫)暗い旅 (河出文庫)
(2008/09/04)
倉橋 由美子

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倉橋由美子(著)
『暗い旅』(河出文庫)

これもやっぱり、私は『倉橋由美子全作品』3(新潮社、1975年)を図書館から借りて読んだのだけれど。いずれ河出文庫で読み直したい。
前に同じ著者の「聖少女」の読書記録を書いたし、今回は簡潔に。(でも作品からいうと、こっちの「暗い旅」のほうが面白いと思う。)


愛する相手に対して、自分が他の人と通じたことを告げるのは、相手の愛ではなくむしろ自分自身の愛をそこねるから危険なのだと思う。他の人と通じることじゃあない。それを告げること。

どういうことか。

説明するのは野暮なのだが要するに、告げる度に自分は相手をあまり好きでなくなっていく、ということだ。だからもし相手を愛していたいのならば(相手から愛されていたいのならば、ではなくて)、言ってはだめだ。


まあ私はそう思ったということで。

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マドンナじゃなくて(倉橋由美子『聖少女』)
2009年02月04日 (水) | 編集 |
聖少女 (新潮文庫)聖少女 (新潮文庫)
(2008/01)
倉橋 由美子

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倉橋由美子(著)
『聖少女』(新潮文庫)

私が読んだのは、正確には『倉橋由美子全作品』5(新潮社、1976年)で。
知人がすすめるので読んでみたが、いやはやなんとも。

作者は、この前段階の作品として「わたしの心はパパのもの」という小説を書いたそうな。これはチャーリー・パーカーの"My Heart Belongs to Daddy"という唄の題をそのまま邦訳して使ったそうなのだけれど、私は残念ながらチャーリー・パーカーを聴いたことない。

さて、『聖少女』は、娘・美紀による父娘の近親相姦(日記)が一見すると主なテーマ。でも私は、主人公の青年・Kの思いがずっと気になってしょうがなかった。父娘の恋愛を至近距離で見つつ、でも他人という位置が。そしてその少女に嵌ってしまう男心が。ずるいなあと思った。何に対してかは分からんが。

本作に関する「作品ノート」に、次のように書いてあった。

(・・・)作者が立てた仮説は、例えば父と娘が「間違い」ではなくて恋人同士になるという、考えられる限りのいやらしい帰結が、精神の自由な働きの落し穴として生じる可能性があるのではないかということである。これは例の「クレタ島の人はみな嘘つきである」以来の論理的なパラドックスからそれほど遠いものではない。自由に運動する精神がその自由に適当な制約を設けておかなかったためにある地点で足がもつれて倒れることは大いに考えられる。その意味でこれは精神が遭遇する事故のようなものかもしれない。従ってその地点への歩行は危険なのである。あるいはその観念を弄ぶのは危険なのである。それを敢えてやってみせるのは、別にこれぞ果敢なる冒険というほどの意味などなくて、子供に特有の恐いもの知らずとか好奇心とかのせいであるにすぎない。
(『倉橋由美子全作品』5、255頁)



私はこの「聖少女」を読みながら、ふと久坂葉子を思い出した。でもそれは、倉橋由美子と久坂葉子が似ているからではなく、反対だからだと思う。雰囲気は似ている気もする。女のいやらしさとか、荒々しさとか。でも倉橋由美子という人は、きっととても頭のよい人だ。(久坂葉子が頭悪いということでは決してないのだけれど。)

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