モンドの読書日記

都内の某大学へ通う学生による、日本や海外の文学関連書籍を中心とした読書記録。

かばんかばん
(2000/12)
セルゲイ・ドナートヴィチ ドヴラートフ

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セルゲイ・ドナートヴィチ ドヴラートフ (著), ペトロフ=守屋 愛 (翻訳)
『かばん』(成文社、2000/12)

Y市図書館で借りた。
沼野充義『亡命文学論』に、「「人がどのように生きるべきか」、自分は指図しようとは思わない、自分に興味があるのは「人がどのように生きているか」だ――作家としてのドブラートフの慎ましいスタンスは、一貫してこんなものだった。」という記述があって、ずっと気になっていたのだった。
あー読んでよかった。
「ハリー・ポッターと死の秘宝」 (上下巻セット) (ハリー・ポッターシリーズ第七巻)「ハリー・ポッターと死の秘宝」 (上下巻セット) (ハリー・ポッターシリーズ第七巻)
(2008/07/23)
J. K. ローリング

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J. K. ローリング (著), 松岡 佑子 (翻訳)
『ハリー・ポッターと死の秘宝』上下巻(静山社、2008/7/23)

息抜きに。って、息抜きだらけなんだけど。

やっと完結した。
もう少し、最後の手前の章を書いて欲しかった。
スネイプ先生、好きだったなあ。

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クロイツェル・ソナタ/悪魔 (新潮文庫)クロイツェル・ソナタ/悪魔 (新潮文庫)
(1974/06)
トルストイ

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レフ・トルストイ (著), 原 卓也 (翻訳)
『クロイツェル・ソナタ/悪魔』(新潮文庫、; 改版版1974/06)


たった今読んでた本。
『クロイツェル・ソナタ』は1890年頃に完成した作品、
『悪魔』は1889年11月に書き始めた作品。
外套・鼻 (岩波文庫)外套・鼻 (岩波文庫)
(2006/02)
ゴーゴリ

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ゴーゴリ (著), 平井 肇 (翻訳)
『外套・鼻』(岩波文庫;改版版、2006/02)

同じ岩波文庫の『狂人日記 他二篇』(「ネフスキー通り」「肖像画」)は読んだことあったのだが、これは未読だった。

いやあ、なんとも。
「鼻」は、私にはよく分からん。分からないなりに印象的でもある。
だがやはり「外套」。これはつらいというか、あわれだ。「まったくロシア人てやつは」というせりふを言いたくなってしまう。主人公アカーキイ・アカーキエヴィッチの身上に起こった悲劇は、だが朴訥(というのもぎりぎり)な彼でなくては、起こらなかったことでもあるだろう。
だからこそあわれだ。

そして読み手は、解説にあるように、そんな彼を尊敬すべきか、隣人として愛せるか。
もちろんそうだとは思うのだけれど、しかしそれを言うのならば、彼の外套を奪った強盗も、そばにいた知人に偉ぶりたかったために彼を叱った町の有力者も、同様に尊敬すべき・愛すべきってことにならないか?

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ライロニア国物語―大人も子どもも楽しめる13のおとぎ話
コワクフスキ、レシェク_ライロニア国物語

レシェク コワコフスキ(著)、沼野 充義、芝田 文乃(翻訳)、土橋 とし子(画)
『ライロニア国物語―大人も子どもも楽しめる13のおとぎ話』(国書刊行会、1995/11)

沼野さんの『ユートピア文学論』に出て来た本。
面白そうだったから、また図書館で借りた。
おとぎ話なんて読むの久しぶり…とは言えない、こどもな私。
だが、気づいたのだが、おとぎ話ってのは短い(短め)だからいいんだ。
長いおとぎ話なんて、読む集中力は(少なくとも私には)ない気がする。
ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを (ハヤカワ文庫 SF 464)ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを (ハヤカワ文庫 SF 464)
(1982/02)
カート・ヴォネガット・ジュニア

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カート・ヴォネガット・ジュニア(著)、浅倉久志(翻訳)
『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』(ハヤカワ文庫、1982/02)

「億万長者にして浮浪者、財団総裁にしてユートピア夢想家、慈善事業家にしてアル中である、エリオット・ローズウォーター氏の愚かしくも美しい魂の声」(文庫裏の解説)が書かれた本。
この前に読んだ『スローターハウス5』のほうが私はすごいと思うが、こちらも十分すばらしいと思う。

エリオットは、ある種の人間たちから狂人扱いされていくわけだが、それについて最後のほうでおなじみ(らしい)キルゴア・トラウトのことば。

「つまり――」と、トラウトは両手をこすり合わせ、そしてこすり合わせた手を眺めた。「あんたがローズウォーター郡でやったことは、断じて狂気ではない。あれは、おそらく現代の最も重要な社会的実験であったかもしれんのです。なぜかというと、規模は小さいものだけれども、それが扱った問題の不気味な恐怖というものは、いまに機械の進歩によって全世界に広がってゆくだろうからです。その問題とは、つまりこういうことですよ――いかにして役立たずの人間を愛するか?
 いずれそのうちに、ほとんどすべての男女が、品物や食糧やサービスやもっと多くの機械の生産者としても、また、経済学や工学や医学の分野の実用的なアイデア源としても、価値を失うときがやってくる。だから――もしわれわれが、人間を【人間】だから大切にするという理由と方法を見つけられなければ、そこで、これまでにもたびたび提案されてきたように、彼らを抹殺したほうがいい、ということになるんです」
(288頁)

「(…)貧困は、脆いと定評のあるアメリカ人の魂にとっても、わりあいに軽い病気ですが、むなしさという病気は、強い魂も弱い魂もおなじように冒し、そして例外なく命とりになるのです。
 ぜがひでもその治療法を見つけなくちゃなりません」
(299頁)



【】部分は原文傍点…モンド注。

私はエリオットのようにはなれないが、なるべくそうありたいと思う気持ちはある。
けれども、上の内容をマッタクワカラナイ人間もいることだろう。そして私は、腹が立つとそんな人間をこそ「抹殺したほうがいい」と思ってしまうことがある。そこが私の大きな欠点なのだが。

ところで、エリオットの父や妻がまた大事な存在だ。
家族!その人間関係!これがあってもなくても、言及されるとされないとではどうも話の深みが違う。

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ゴールデンボーイ―恐怖の四季 春夏編 (新潮文庫)ゴールデンボーイ―恐怖の四季 春夏編 (新潮文庫)
(1988/03)
スティーヴン キング、Stephen King 他

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スティーブン・キング(著)、浅倉久志(訳)
『ゴールデンボーイ ―恐怖の四季 春夏編―』(新潮文庫、2003)


邦題にするなら、「少年の夏」なんてのが合うんじゃないかと。

半月くらい前に読んでた本。
キングの小説を読むのは、実はこれが初めてじゃあなかろうか?
この文庫には、表題作の前に「刑務所のリタ・ヘイワース」が収録されている。映画「ショーシャンクの空に」の原作。(私は映画は未見だけれど。)

「刑務所の〜」は、暗いなかでも時々爽やかさがあって、最後も素敵で希望が見えた。
一方の「ゴールデンボーイ」のほうは、暗いまま行くところまで行ってしまった、という話だった。あらすじは読む前に少し知っていたのだけれど、あんな終り方をするとは…でも、あんな終り方以外にないのかもしれない。
以下は、トッド少年がナチ戦犯のドゥサンダーを初めて訪ねた際の場面。

「とにかく」とトッドはつづけた。「図書館の本はすごくよかった。ナチの強制収容所のことを書いた本は、ここのサント・ドナート図書館だけでも百冊じゃきかないよ。よっぽどおおぜいの人間が、あんなことを読みたがってるんだ。フォクシーのおやじさんの雑誌みたいに、写真はいっぱい載ってないけどさ、読んでるとぞくぞくしてきちゃった。(…)
「ぼくはそのことでほんとにレポートを書いたんだよ。どんな点をもらったか知ってる?Aプラス。もちろん、気をつけて書いたけどね。ああいうことを書くときは、書きかたがあるんだよ。気をつけなくちゃだめ」
「そうかね?」ドゥサンダーはわななく手で新しいタバコに火をつけた。
「そうさ。図書館にあったあの手の本はね、ぜんぶおんなじ書きかたなんだ。書いた人が、みんな自分の書いてることをゲロが出るほどいやがってる感じ」(…)「みんな、眠れないほど気をもんだって感じで書いてるんだ。こんなことが二度とおこらないように、われわれは気をつけなければいけないとか。ぼくもそんなふうにレポートを書いたさ。先生がぼくにAをくれたのは、ゲロを吐かずにあんな資料を読めたからじゃないかな」もう一度トッドは愛嬌たっぷりの笑顔を見せた。
(192-193ページ)



「よっぽどおおぜいの人間が、あんなことを読みたがってるんだ」。
私は戦後の狂おしいような激しいものを読んでいると、このトッド少年のことばを自分に向けて時々こう思う。
「私は、こんなことを読みたがってしまう人間なんだ」。
これはもうずっと前から思ってたことで、今後もずっと思い続けるんじゃないかとあきらめてる。

小説に戻るけれど、結局トッドに過去を根掘り葉掘り喋らされたドゥサンダーは、見まいとしていた悪夢を再発させ、どんどん荒れていく。
それと一緒にトッド少年も、どんどんドス黒くなっていく。
そんなのを読みながら思ったのは、宗教や哲学で「自覚」だとか「反省」だとかいうけれど、それって本当に「立派」なことなんだろうか?ってこと。
過去にした恐ろしいことは、ただそれを「思い出す」だけじゃあ、ダメなんだ。自分で思い出すのも、他人に無理矢理思い出させられるのも、もちろん他人のを思い出させるのも、どれもダメなんだと思う。
だから「自覚」や「反省」って、「思い出す」のとはまた違うナニカなんだろう。

難しいものだ。きっと簡単なことだと思うのだけれど。

おまけの話。
ドゥサンダーはトッド少年の名前を最後まで呼ばない。
Todはドイツ語で死だとか死神だとか。(Uさん、教えてくれてありがとう。)
原文の英語ではTodd(dがふたつ)かもしれないけれど、それは呼べないことだろう。
お台場で買った私のケロヨンの名前はトッド…ジョシュア・トッドからとっただけだったのだが。

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草は歌っている 新装版草は歌っている 新装版
(2007/12)
ドリス・レッシング

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ドリス・レッシング (著), 山崎 勉 (翻訳), 酒井 格 (翻訳)
『草は歌っている』(晶文社、新装版2007/12)


ものすごいものを読んでしまったな、というのが読んだ直後の感想だった。
著者のレッシングは、昨2007年にノーベル文学賞を受賞している。
この本は彼女の処女作で、1950年に発表されたもの。
ねじの回転デイジー・ミラー (岩波文庫)ねじの回転デイジー・ミラー (岩波文庫)
(2003/06/14)
ヘンリー・ジェイムズ

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ヘンリー・ジェイムズ (著), 行方 昭夫 (翻訳)
『ねじの回転 デイジー・ミラー』(岩波文庫、2003/6/14)


収録の順番は逆で、「デイジー・ミラー」(DAISY MILLER, 1878)の次に「ねじの回転」(THE TURN OF THE SCREW, 1898)となっている。

どうも私にはイマイチ。
これを読むと、なんだか男も女もバカみたいに思えてくる。

二篇どちらもやや毛色が違っていて、また作品の提出している問題(「デイジー・ミラー」は〈アメリカ的なもの〉と〈ヨーロッパ的なもの〉の対立)、「ねじの回転」は幽霊出現の解釈あれこれ)は有名であるし、歴史的なことを感じたり知ったりするのには良いのだろう。
特に後者は、実際のところ読みながらドキドキしたし、楽しんだ。
でもやっぱり、ふとした拍子に主人公が幼稚っぽく見えたり、思い込みの強さについていけなくなると、その瞬間からもう読むのが億劫になる。

『鳩の翼』や『金色の盃』を読むのはまだ先でいいかなーと思ってしまった。
今の私には時期ではないってことか。

ただし、翻訳はたいへん見事なのだと思う。それは私でも感じるものがあった。

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ワーニャおじさん (岩波文庫)ワーニャおじさん (岩波文庫)
(2001/09)
チェーホフ小野 理子

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チェーホフ(作)、小野 理子(訳)
『ワーニャおじさん』(岩波文庫、2001/09)

おんもしろかった!
ヴォイニーツキイとアーストロフとのやりとりとか、最高!!
あと、年とった乳母マリーナの次のようなせりふ。

 マリーナ   (…)年寄りは子供と同じで、誰かに可哀そうがってもらいたいのです。でも年寄りを可哀そうがる者などおりません。(41頁)



ここを読んでいた時、たまたま横にいたうちの祖母に話したら、「まったくもう!」ってプンスカ怒られた。うくく。
それにしても登場人物がしょっちゅう「放っといてくれ!」って言う。熱い。
いいぞ、もっとやれ!

チェーホフ、すごいなあ。
以前読んだ初期の頃のものより、とてもユーモアがきいているように感じた。
(私ってば偉そうにねえ。)
他のも読みたいな。

*****

今日は西成彦『ラフカディオ・ハーンの耳』を読んだ。
この人の、最近出た『エクストラテリトリアル――移動文学論2』っていうのが気になって。
あー、でもそろそろまた論文にとりかからないと。
うう。私はこの先、どうなるんだろう…ってまた不安が頭をかすめちゃった。いかんいかん。

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夜の来訪者 (岩波文庫 赤 294-1)夜の来訪者 (岩波文庫 赤 294-1)
(2007/02)
プリーストリー

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プリーストリー (著), 安藤 貞雄 (翻訳)
『夜の来訪者』(岩波文庫、2007/02)

"AN INSPECTOR CALLS" J.B.Priestley(1947)

以前書いた、同じ岩波文庫のガーネット『狐になった奥様』と同じ安藤貞夫の訳。
著者ジョン・ボイントン・プリーストリー(John Boynton Priestley, 1894-1984)は、その安藤さんの解説によると「イギリスのジャーナリスト・小説家・劇作家・批評家」だそうだ。
内容は、有名な話らしいし、岩波文庫やアマゾンでいくらでも簡単に分かりそうだから、いつもの如く省略。

私が一番怖かったのは、階級意識でゴリゴリのバーリング夫妻でもなく、良心のはたらきが現代的な娘シーラや息子エリック(でも飲んだくれ)でもなく、シーラの婚約者ジェラルドだった。
困っている若い女を見れば憐れみ、婚約者がいてもその女のことを真剣に大事にする。
その女が身を引こうとすれば素直に悲しみつつ別れる。
また、その女がとうとう自殺したと「来訪者」に聞かされれば大いに嘆きもする。
登場人物の中では、まるで一番まともな「良い人」だ。
ところが、そんな男が気持ちを落ち着けるためにちょっと散歩に出て、帰ってきて言うことは、その女の自殺は「来訪者」の作り話なんじゃないか?といったことばだった。
まったくもう、すぐに自分に都合のいいように考えたがる。しかも他人を加害者にしたがる。

ああ、けれどもやっぱり、そういうのが人間ってやつなんだろう。
少なくとも、私の中にはそういう部分がないとは言えない。
でも、次のシーラのことばも大事にとっておこう。

じゃあ、ほんとは何ひとつ起こらなかったわけね。じゃあ、何も後悔することはないし、何も学ぶべきことはないわけね。みんな、まえとまったく同じようなふるまいを続けていけばいい、というのね。(159頁)

(…)あの警部さんがだれだったにせよ、これは断じて冗談ではないのよ。あなたたちも、あのときはそれがわかったし、何かを学びはじめていたのよ。ところが、いまはやめてしまったわ。あなたたちは、以前と同じやり方で暮らしていこうとしているのよ。(〃頁)

考えてみなきゃいけないわ、あたし。(160頁)

 

ところが、その考えることにも、訓練は必要なんだよね。

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