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学問の大禁忌は作輟なり。或は作し或は輟むることありては遂に成就することなし。故に片時も此の緩がせなくするを、その志を持すると云う。(吉田松陰、「講孟箚記」安政二年七月二十六日)
秦?宋?
2012年02月08日 (水) | 編集 |
中国化する日本 日中「文明の衝突」一千年史中国化する日本 日中「文明の衝突」一千年史
(2011/11/19)
與那覇 潤

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宋代に着目ということで、興味を引いた本。中国の転換期(という語は使われていなかったかもしれないが)について、前の『「名」と「恥」の文化』では秦朝の郡県制度が成立していった時代に言及されており、この本では宋代に重点が置かれていた。その違いが気になるところ。科挙がポイントらしいけれど。
とりあえず、中国史を理解するには私にはまだまだ知識が足りないようだ。

宋代の禅の本も、また読み直してみたくなった。
今なら少し気を入れて読めるか知らん。

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現代のリーダーシップ育成論にも応用可?
2012年02月04日 (土) | 編集 |
「名」と「恥」の文化 (講談社学術文庫)「名」と「恥」の文化 (講談社学術文庫)
(2005/12/10)
森 三樹三郎

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 ちょうど半分、第三章まで読んだところ。
 これって、儒教について学ぶ際の副読本として面白いんではないだろうか。
 あと、名(名声、名誉)を求めることをよしとするか、拒否するかという話は、現在の学生のリーダーシップ育成にも使える話なのではないかなと思った。
 ああ、リーダーシップ…この語を使うのを恥ずかしいと思うのは何故なのか。

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ください!私はもうあげてる!(マルセル・モース『贈与論』)
2009年08月13日 (木) | 編集 |
贈与論 (ちくま学芸文庫)贈与論 (ちくま学芸文庫)
(2009/02)
マルセル モース

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■マルセル・モース(著)『贈与論』(吉田禎吾、江川純一(訳)、ちくま学芸文庫)

贈与は返礼とセット。どうしてもそうなのね。

贈与が交換と違うのは、
1:時間差(交換は同時に行われることが殆どだと思うが、贈与に対する返礼はしばらく後)
2:それによる不透明性
3:それらを贈与する側・される側が了解していること
だろうか。

だったらどうなる、という部分はこれから考えをまとめるとして。

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診てもらいたい(ジークムント フロイト『幻想の未来/文化への不満』)
2009年08月13日 (木) | 編集 |
幻想の未来/文化への不満 (光文社古典新訳文庫)幻想の未来/文化への不満 (光文社古典新訳文庫)
(2007/09/06)
ジークムント フロイト

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■ジークムント フロイト(著)『幻想の未来/文化への不満』(中山元(翻訳)、光文社古典新訳文庫)

フロイトの本って、読むと「これ私も感じてた!思ってた!考えてた!」ということが多い。
それは私が育ってきた環境の、特に読んできた本や目につくものの中に、フロイトの述べてきたことが広く採用され認められるようになってきていたってことかしらん。そして知らず知らずのうちにフロイトのような考え方を私もするようになった・そのような考え方を素直に受け容れるようになった、ってことかしらん。
ともかく、自己愛・自己弁明・自己嫌悪といったことに関心がある私としては、今後も色々読んで学びたいところです。

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いけないことをしてはいけません(デーヴ グロスマン『戦争における「人殺し」の心理学』)
2009年06月23日 (火) | 編集 |
戦争における「人殺し」の心理学 (ちくま学芸文庫)戦争における「人殺し」の心理学 (ちくま学芸文庫)
(2004/05)
デーヴ グロスマン

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■デーヴ グロスマン(著)『戦争における「人殺し」の心理学』(安原 和見(翻訳)、ちくま学芸文庫)

まったく、これが長かった。
読み応えある本でした。

ベトナムの何が特別だったのか。それは、兵士が人を殺すように訓練されたということだそうだ。それ以前にも訓練はあったが、それが段違いに綿密に計算し組み立てられたプログラムに従って教え込まれた。結果、帰還兵のPTSDもそれまでにないものとなった、と。
そして現在の米軍も、またどこかの軍隊も、きっとそういう訓練を続けている。なんということだ。

著者は常に、人が人を殺すということには非常な抵抗があるものなのだ、といっている。

 かつて理解したことのないことを理解しなければならない。すなわち、なぜ人は人と戦い殺すのかということ、だが等しく重要なのは、なぜ人は人を殺さないのかということだ。
(505ページ)



私が思うに、おそらく「なぜ人はひとを殺さないのか」は沢山語られている。ただしその語りの殆どが、〈人は人を殺すものだ〉という暗黙の前提を含んでいて、その暗黙の前提をあまりにも簡単に諦めて受け容れてしまっている。そういうことなんじゃないか。

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不滅の音楽家(ロマン・ロラン『ベートーヴェンの生涯』)
2009年05月18日 (月) | 編集 |
ベートーヴェンの生涯 (岩波文庫)ベートーヴェンの生涯 (岩波文庫)
(1965/01)
ロマン・ロラン

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ロマン・ロラン(著)
『ベートーヴェンの生涯』(片山敏彦(訳)、岩波文庫)

ジャン・クリストフの生い立ちはベートーヴェンがモデルだったのね。
ふと思ったのだが、もしや音楽機器で有名なロランドは、ロマン・ロランRomain Rollandの名前が由来?

「ベートーヴェンの思想断片」の章より。

 音楽は、一切の智慧・一切の哲学よりもさらに高い啓示である。……私の音楽の意味をつかみ得た人は、他の人々がひきずっているあらゆる悲惨から脱却するに相違ない。
                                (一八一八年、ベッティーナに)
(135頁)



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聖書の暗記(向井万起男『謎の1セント硬貨』)
2009年05月04日 (月) | 編集 |
謎の1セント硬貨 真実は細部に宿るinUSA謎の1セント硬貨 真実は細部に宿るinUSA
(2009/02/20)
向井 万起男

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向井万起男(著)
『謎の1セント硬貨 真実は細部に宿るinUSA』(講談社)

記事のタイトルについて。
スタンダール(1783-1842)の小説『赤と黒』に、ジュリアン・ソレルという青年が主人公として登場するのだけれど、このソレル青年が聖書をラテン語・フランス語で丸暗記している。向井氏は若い頃にそれを読んで、同じことに挑戦してみようと思ったらしい。そして英語でマタイによる福音書だけは本当に暗記したらしいです。そういうことが『謎の~』の、とある章に書かれてました。
すごい!すごいですね!!
とまあ、ちょうどようやく自分が先日『赤と黒』を読み終えたところでもあったから(もちろん日本語の岩波文庫で)、印象深かったため、タイトルにしただけのことです。

『赤と黒』も面白かったのですが、この本も面白かったです。
著者はきっと忙しいだろうに、そんななかでもこんなに謎を見つけて、こんなに追究できてしまうのだなあ。
キルロイとロージーの伝説を作ってしまうのとか(※)、頭だけでなくセンスも素敵によいのだなと思いました。

※本文中にも紹介されているのだけれど、アメリカの"Kilroy Was Here"というサイトに、向井氏が作ったキルロイ伝説が掲載されています
向井さん作の伝説は'Legend#7'なのだけれど、今みてみたら、その後も他の人による投稿で#9まで伝説が増えてる。
おおう。


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ナイトメア・ウィズ・エブリデイ(宮田光雄『ナチ・ドイツと言語』)
2009年04月20日 (月) | 編集 |
ナチ・ドイツと言語―ヒトラー演説から民衆の悪夢まで (岩波新書 新赤版 (792))ナチ・ドイツと言語―ヒトラー演説から民衆の悪夢まで (岩波新書 新赤版 (792))
(2002/07)
宮田 光雄

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宮田光雄『ナチ・ドイツと言語』(岩波新書)

あとがきに、こんなことが。

 ナチ党組織の帝国指導者だったローベルト・ライは、かつてこう言いました。「ナチ・ドイツでは、なお私生活を送りうるのは眠っている間だけのことだ」と。ナチ・ドイツでは、日常生活の全局面が党のプロパガンダや組織によって覆い尽くされていたから、ただ眠っているときだけは自由である、と言っているのです。しかし、驚くべきことに、ナチ・ドイツ社会では、眠りと夢すらも昼間のプロパガンダとテロリズムのもとに包摂されていたのでした。ライ発言は、ナチの指導者自身が、全体主義的な支配の現実のひどさについて認識が甘かったことを物語るものだ、と言うこともできるかもしれません。
(207ページ)


悪夢にうなされたことのある人は多いのか少ないのか、私は知らない。
私自身は悪夢にうなされたことは何度か(何度も)あるが。
ここ十数年、夢を見ない日はないし、見ても楽しい夢であることは稀だ。
(いちおう断っておくが、心身はそこそこ健康…というか、普通をたもっています。多分。)

ともかく、起きている間のことが眠っている間に見る夢にも影響するのは、当然といえば当然のことだ。
まったく、。生きている間は自由になれないものです。仏教だなあ。

ちなみにこの本、ヒトラーの演説は具体的にそれほどとりあげられていない。それが残念。
演説の解釈等は、専門書を読めってことかしらん。

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美(女)と崇高(男)(イマヌエル・カント『美と崇高との感情性に関する観察』)
2009年03月20日 (金) | 編集 |
美と崇高との感情性に関する観察 (岩波文庫 青 626-0)美と崇高との感情性に関する観察 (岩波文庫 青 626-0)
(1982/12)
イマヌエル・カント

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イマヌエル・カント『美と崇高の感情性に関する観察』(上野直昭(訳)、岩波文庫)

こんなものまで書かれていたのですね、カント様は。
妙に誤解されないのかしら?たとえばこんなところ。

婦人達は美しくて愛嬌があれば、それで沢山だ。
(56ページ、引用はすべて旧字を新字に改めてあります。)

最も大切な事は、男子は男として、婦人は女として、より完全になることである。
(57ページ)


いやはや。色んな人が、タイトルの「観察」というのを強調するのがわかる気がします。
私なぞには、このくらいくだけた内容のほうが、勉強の導入としては助かりますが。
ある程度くだけた書き方をされたもののほうが、人間くささが感じられて「これを書いた人はどんなひとなんだろう」と興味を抱くから(勿論その逆もあるけれど)、勉強も面白くなろうというものです。

というわけで、美(女)と崇高(男)について思いをめぐらせるには大変興味深い本でした。
これが更なる勉強に発展すれば、私も立派なものなんだろうけどね。

観察って楽しい。が、観察でおわってばっかりだ。

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はじめてのナショナリズムに(アンダーソン『増補 想像の共同体』)
2009年03月20日 (金) | 編集 |
想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行 (ネットワークの社会科学シリーズ)想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行 (ネットワークの社会科学シリーズ)
(1997/05)
ベネディクト アンダーソン

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ベネディクト・アンダーソン『増補 想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行』(白石さや・白石隆(訳)、NTT出版)

もはや古典と呼ばれているであろう本、先月ようやく読了。
一つ一つの細かい論を、全部きちんと理解したとは言い難いにもかかわらず、わくわくしながら読めた。時々そういう本がある。それはきっとそうした本が、全体の雰囲気の次元で、新しい物事の見方を指し示し導いてくれているからだろう。
そんな「全体の雰囲気の次元」を構成しているのは、もちろん一つ一つの語なのだけれど。
不思議だなあ。まさしく思議せず(不思議)の領域。

どこにあったか今ちょっと見つけられないのだけれど、「言語は排斥の手段ではない」という一文が強く印象にのこっている。
それから、第ⅩⅠ章「記憶と忘却」にあった、ルナンの『国民とはなにか』の読解がすんごく深くて面白い。どきどきした。

…いろいろ面白い本や読(んで)みたい本は沢山あるのだけれど、本当に必要な本というのはそう多くない、というか、多くないようにすべきだ。読み手である私が。
なぜなら、何度も繰り返し読む/ゆっくり時間をかけて読む、という読書法をとるべき本があって、そのためにある時間はかぎられたものだから。

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ラビってどういう人なのか(クシュナー『なぜ私だけが苦しむのか』)
2009年02月16日 (月) | 編集 |
なぜ私だけが苦しむのか―現代のヨブ記 (岩波現代文庫)なぜ私だけが苦しむのか―現代のヨブ記 (岩波現代文庫)
(2008/03/14)
H.S. クシュナー

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H. S. クシュナー(著)、斎藤武(訳)
『なぜ私だけが苦しむのか 現代のヨブ記』(岩波現代文庫)

これもいつ読んだんだっけ?
「現代のヨブ記」の副題に惹かれて購入。
これは・・・およそX年前、私につまらないセッキョウをかまそうとした人たちが読んだら、どう思うかしらね。と、イヤな気持ちになるのは私がまだまだ著者ほど人間ができていないからなのだけれど。(この「人間ができていない」とか、逆に「できている」とか、その意味するところは、幸せなことではなくて、とても悲しいことが関係しているようにも思うが。)

この本では、第1章のはじめに次の問いをあげる。

「なぜ、善良な人が不幸にみまわれるのか?」(2頁)

ヨブ記の主題もこれ。まったく、どうしてなのか。
この問いに「だって世間はそうなってるんだしー」とか「弱いからだよ」とか、ともかく答えを出してしまっている人もいるだろうなあ。つうかいる。ああ全く、それらこそが善良な人の不幸の原因ですね。答えを出している人たちも、そりゃあ善良な人たちでしょう。ああ全く、他人の不幸どころか自分の不幸まで作ってるなんて、恐れ入ります。

上の問いは、しょっちゅう忘れがち(忘れられるなんてシアワセな時間を持っているものだね、私も)だけれど、しょっちゅう思い出していたい。
個人的には、内扉に引用されていたサムエル記12章22-23節に衝撃を受けた。

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