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学問の大禁忌は作輟なり。或は作し或は輟むることありては遂に成就することなし。故に片時も此の緩がせなくするを、その志を持すると云う。(吉田松陰、「講孟箚記」安政二年七月二十六日)
ひさしぶりの更新
2009年12月26日 (土) | 編集 |
更新、交信、行進、と変換されて「『こうしん』ってなんかステキ」と思ったら、
次に後進と出てきてガッカリ。

最近ずっと何も書いていませんでしたが、とりあえず生活しています。
(生活って生存活動(by江古○ちゃん)だったのね、なるほど確かに。)

昨年よりも勉強はゆっくりのんびり(悪くいうと怠惰・集中力低下)にはなりましたし、体力もめっきり落ちました。もう無理はきかない(そもそもあまり激しく無理したことはないかもしれない)身体ですが、その管理能力を磨けということなんでしょう。

いったいこれでよいのだろうか、と、つい数ヶ月前まで想像もしなかった(したけれどその時は大丈夫だと思った)疑問が頭をもたげてきていますが、それはそれでまたよい変化なのかもしれません。

ともかく今また風邪ひいてるから、読書等の記録は次回以降に。

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日常と偶然について
2009年09月21日 (月) | 編集 |
日常(安定)と偶然(不安定)は、どちらがよい悪いということではなく、またどちらが物事の関係性に開かれている閉じているということでもない。
問題が起きるとしたら、日常も偶然も、人間がそれらの語を使うというところだ。
どちらの語も、関係の拒否や否定の理由・言い訳に使うというところだ。

関係の拒否や否定をできるのは、大体が強い人だ。
というか、結果的に拒否や否定をできた人、した人が強い人だ。
そして弱い人は、自分との関係を拒否したその強い人を憧れる限り、また恨んだり憎んだりするだろう。

勝手に恨んだり憎んだりすればよいって?そりゃそうだ。
ただし、その無関心も恨みや憎しみをなくしはしない。つまりとても悲しいことだ。
恨みや憎しみを抱く側には倫理があるが、無関心な人には倫理も関係ないからね。

というわけで、日常やら偶然やらを論じる意味が、少なくとも倫理的な意味があるとすれば、人がそれらの語を「『物事の関係の否定や消失』の言い訳」として使う、という部分を突いていただきたい。

そして言い訳ってのは、たとえどんなにおかしなところがあっても、言っている当人に言い訳したいという欲が消えない限り、主張され続ける。そういうもんだろう。

強い人には、強いだけの人には、わかるまいよ。
私は弱くないけどね(周囲の人のおかげで)。

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悟ったわけではないけれど
2009年08月16日 (日) | 編集 |
およそ2ヶ月前、自分の身に起きたこと(今後も死ぬまで続くこと)ではげしく動揺した。
そんなとき読んだ新聞に、悲劇的な事件が沢山載っているのが目につき、さらに絶望した。

涅槃というのは「死んで二度とこの世に生まれかわらないこと」という。
わたしは2ヶ月前、それを強く望んだ。
その望みは今も変わらない。

この年齢まで生きれば、どんなに呑気な人生でも、多少は苦しむこともあるし、世間を見てもっともっと大変な人たちに共感や同情して悲しいこともある。
けれども、せいぜい「次に生れるときは荒野のサボテンがいいなあ」と思う程度だった。
二度と生まれてきたくない、などとは思わなかった。思えなかった。
「だってやっぱり素晴らしいことは沢山あるもの」と単純だった。
その単純さがよいのかわるいのかは知らない。でもわるいような気がする。

あれから2ヵ月たって、最もおそろしい可能性には目を瞑って
(「最も恐ろしい(こと)」がどんな状態なのかも考えたくない。 恐ろしさとはそういうものではないか?)、
幸せな気持ちになることも多々あり
(幸せすぎて、ある日突然死の宣告を受けるのではないかとおびえている)、
それでもやはり、もう二度とこの世に生れたくないと思う。

と、ここで考えるのは、キリスト教はつらいなあということ。
最後の審判で地獄行きが決まって、そこで永遠に苦しむよりは、ずっと死んだままにしておいて欲しい。
(自分が天国へ行ける自信はないからね。)
それよりは、果てしなく輪廻してても、いつかそこから抜け出せるかも、という留保があるほうがまだマシ。

こんな自分の考え程度で宗教を選んで決められるとは思ってないけれど。

ちなみに、私は「本気で輪廻転生を信じてますッ!」と言っているわけではない。
もっと素朴なはなしをしているのです。

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とても
2009年06月23日 (火) | 編集 |
とても「どうしよう」(よくない意味で)なことがあったけれど、
もうこれ以上「どうしようもない」ので、
なんとか「どうにかできるところまで・どうにかしてもらえるところまで」は、
って書いてて意味分からなくなってきたので、やめよう。

こう書いていられるだけ、良かったのかもしれない。
最近の疑問
2009年05月28日 (木) | 編集 |
オオクワガタとヘラクレスオオカブトとは、どちらが強いのだろうか?

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社会への適応が問題なのではなく
2009年05月13日 (水) | 編集 |
社会不適応者なのではない。
単なる失礼な人です。

と、言ってあげたくなる人がいます。たまにね。

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ひとつの天才のこと
2009年04月26日 (日) | 編集 |
誰からも愛される人が、すごいのではない。
誰からも愛されることのないような人を愛せる人が、すごいのだ。

そして私はすごい人ではないが、
私のまわりにはすごい人がいるように思います。

残念ながらあなたじゃありません。
そうそう、そこのあなたです。いつもありがとう。

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ようやく
2009年03月20日 (金) | 編集 |
母のことがひと段落。


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年金の運用のこと
2009年03月01日 (日) | 編集 |
またもや、とんでもないことが。

*****毎日jpの記事より*****
年金運用:損失5.7兆円 過去最大 2009年2月27日 20時12分
 厚生労働省所管の年金積立金管理運用独立行政法人は27日、08年10~12月期の年金資金運用結果を公表した。市場運用分は収益率マイナス6.09%で、四半期ベースで過去最大の赤字幅となる5兆7398億円の運用損となった。08年4~12月期で8兆6738億円の赤字と、通期で過去最大の赤字だった07年度の5兆8400億円を既に上回っている。

 年金資金は01~07年度で累積黒字が約10兆3400億円あったが、08年4月からの9カ月間で約1兆6700億円に目減り。株価は年明け以降も下落傾向にあり、年度末には黒字をすべてはき出してしまう可能性もある。

 市場運用は、国内債券で1兆5105億円を稼いだものの、株式急落と円高が影響し、外国株は3兆4763億円の赤字、国内株は2兆6638億円の赤字を計上した。

 同法人は財投債を含め計116兆6299億円(うち市場運用分90兆4349億円)を運用。10~12月期は財投債で796億円の収益があり、運用資産全体では5兆6601億円(収益率マイナス4.68%)の赤字運用だった。【吉田啓志】
**********

年金積立金管理運用独立行政法人のHPの「沿革」によれば、同法人は1961(昭和36)年11月25日設立された年金福祉事業団がはじめ。
その後、1986(昭和61)年4月18日に年金資金運用事業を開始。財政投融資借入による年金資金の運用を開始。(それまで何をしていたのか?)
2001(平成13)年4月1日、年金資金運用基金の設立。厚生労働大臣から寄託された年金資金の運用を開始。
2006(平成18)年4月1日、年金積立金管理運用独立行政法人になった。

現在の理事長は、川瀬隆弘。
1965年に東京大学経済学部卒業後、日本銀行に入行。調査統計局次長や企画局長等を経て1988 年に退職。マッキンゼージャパン勤務等。
2001年、日本銀行監事。2005年、年金資金運用基金理事長となった。

実際の運用は、「シロウト」の同法人の事務職員ではなくて、「プロ」の金融機関に委託しているそうなのだけれど、だとしたらとんでもないプロがいたものですね。

私は実際に年金を払っている、いや、払わされている国民ですから、文句を言ってもよいですよね。
でも文句をいってる暇もないし、さっさと問題解決案について考えたほうがよいですね。

それにしても、運用実績の金額がはじめの2001年度を除いてみんな兆単位なの。
こりゃもう縁遠い世界のようで、いかんいかん。現実感を持たねば。

お金のために命を棄てる必要はないけれど、
お金のせいで命をとられる人はいるわけで。

そういえば、昨年だったかやたらと政治家がドバイに出張していたようだ。
そのドバイも今は無惨なことになっているようだ。
一体、政治家は何をしにドバイに行ったのでしょう?
はじける前のバブルの中で遊ぶためではないはずとは思いますがね。
母のことから、この国の医療制度まで
2009年03月01日 (日) | 編集 |
2月ではうまくいかなかったので、
今月ふたたび入院等々だそうです。

この国の医療制度、健康保険制度や、父の稼ぎのおかげで、
母も検査や入院、手術を安全に受けられるのです。
そのことを有り難いと思わない日はありません。

そして同時に、
保険料の支払いすら難しい人がいる
(それもきっと少なくなく、増加しているのではという心配もあります)、
ということも考えない日はありません。

あまり景気のよくない話ばかり世間に流れるこんな時期に、
またこうやってここでも湿っぽい話をするのもどうなのか、とも思いますし、
だから明るい元気なことを書くほうが、周囲にも元気な力を与えられるし、好かれるのでは、とも思いますが…。
しかしそれは、どうやら私の性質とは余りそぐわないようです。
全く不可能とはいいませんが…。

とりあえず私は、自分の幸せを書くのもイヤです。
自分の不幸を書くのもイヤです。

そういうことを書けてしまえる人が羨ましい。

しかし一体、読んでいてきもちよい文章ってなんなんでしょう。

ああそうです、私は寛容さのある文章が好きです。
寛容さのない明るさや力強さや前向きさは苦手です。
寛容さのある文章は、それが極めて私的な内容でも、読んでいて落ち着きます。

落ち着く。安定感があるからでしょうか。信頼できそうだと思うからでしょうか。

私が自分で一番安定する時というのは、
おそらく世間に怒っている時です。
それはきっと、あまり幸せなことではないように思います。
自分で書いてしまうのもアレですが、少し悲しい性質な気がします。

でも悲しくてもそういう性質であっても、勿論明るく元気な時もありますし。

天気が悪いのがいけないんだ。そうに違いない。
権力に媚びへつらう上司
2009年02月19日 (木) | 編集 |
最近の私の、くだらないけれど、それ故に爆発しそうになるストレス諸々について。
(ちなみに、母のことはくだらなくないことだから、以下とのストレス比較は成り立たない。)


*****


私は権力に媚びへつらう人が嫌いだ。

特に職場でそういう人が上役としていた日には、もう即座に辞めたくなる時がしょっちゅうある。

あ。「ある」と断定して書くと、現在そうだと思われてしまうので、「あるだろう」としておかないといけませんね。一応はシャカイジンとして。

権力に媚びへつらう人も嫌いだが、保身にはしる人も嫌いだ。

いや、保身にはしるのは仕方ないかもしれない。

だとしても、自分がそういう姿勢であるという自覚のない人が嫌いだ。

つまり、保身(要するに「何かあったとき責任とりたくないから」ってこと)という理由を、あたかもその場での昔ながらの規則であるかのように、しかも他人を尊重するスバラシイ規則であるかのようにうだうだ言う人が嫌いだ。
(「そのほうが周囲に筋を通すことになるから」?愚劣卑劣なイイワケですね)。

上にへつらい、下をこき使う人が嫌いだ。
(だがそういう人に限って、更に上からは「なんでもしてくれる」と重宝がられる。実際に更に「なんでもさせられる」のは、下の下の者なんですがね。)

どうでもいい気遣いばかりして、怒るときは自分勝手極まりない屁理屈を持ち出す人が嫌いだ。
(しかもそういう人に限って話がしつこい。)
(こちらを馬鹿にしているのか?)
(しかしより馬鹿に見えているのは自分だということに気付かないのか?永久に?)

声が無駄に大きい(しかも殆ど常に)人が嫌いだ。つうか迷惑だ。
(注目されたいのか?)
(ストレスがたまっているのか?しかし周囲には何倍もストレスですよ?)

いつも忙しがっている人が嫌いだ。つうか鬱陶しい。
(やっぱり、注目されたいのか?)
(思うに、忙しくない人なんていない。昼寝をしている人だって、人生かけて昼寝をしているかもしれないし、実際に目一杯昼寝を楽しんでいるなら、そういうのを「くだらないヒマ」だとは言えないだろう。)

人の突然の不幸を理由に、それによって増えた業務の忙しさを楽しむ人が嫌いだ。
(そんなのは死者への尊重心でもなんでもない。)
(儀式・儀礼はいい。しかし、そのための手続きや準備作業を楽しむことは醜悪だ。)


でもこういうこと(ひと)って、世間にはいくらでもある(いる)のだろう。


勉強における私の師匠方は、本当にすばらしい。年々その思いが深まる。
一方で、世間てやつはどうだ。
と憤懣をぶちまけたくもなります。器の小さい人間なのでね、私は。

今日はこう思った。
「頭と性格、両方よくなってくれ、なんて難しいことは言いません。どちらかで結構ですからお願いします。」
…自分もだがね。


ちなみに「へつらう」って、漢字で「諂う」と書く。
キーボードで変換すれば簡単に出てくるけど、馴染みがない気がするのでタイトルはひらがなにした。

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