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徹底した他者性ということ、柄谷行人が指摘する様に要するにこれが坂口安吾の仕事を説明できる全てではないかという気がする。安吾の他者性はラディゲのそれ、つまりは、強引に文学的心理的倫理にまで変形された子供の酷薄さから来る神経質な切捨ての結果であるだろうそれとは異なるが、しかし、同じく殆ど生理的な資質にまで達した文字どおりの意味での倫理、つまりはエティックにまで達したそれであるだろう。(191頁)
人間が理解し合えないものであること、つまりは他者であるしかないこと、これは安吾にとって悲劇的な事実でもなければ心理上生活上の蹉跌でもなく、一つの殆ど物理的、生理的な倫理に他ならなかった。だから彼には他者性がもたらす葛藤といったものが全て嘘か、ないものねだりから来る無意味な懊悩にしか映らなかったのに違いない。(192頁)
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ところが、その制作過程でこの意図を挫くような事件が起きた。同志会のなかの六戸の農家が、無農薬をめざす活動に逆行するような除草剤を使用してしまったのである。映画はこの事件を見事に「記録」する。それによって、この映画は傑作となった。
(…)「落ちこぼれじゃなかですもんね。失敗したから失敗の会ちゅうわけです。人間だから失敗もあるじゃろう」というそれ自体は変哲のない言葉が、観る者に突きささってくるのは、私たちの生きる世界に「失敗」がいかに成り立ちにくくなっているかを、それが鮮明に浮き彫りにするからである。
安楽と効率を指向し、そのための計画とプログラムによって覆いつくされた社会生活(…)
こういう社会では失敗は、機械化された世界に相応しく、いわば事故や故障としてしか現われない。(…)そこでは、機械の故障と違って人間の失敗は負[マイナス]の一方向ではありえないことや、また機械には消耗をひきおこすだけの時間の経過が人間には成熟をもたらしうることなど、考慮の外へと放逐される。こうして失敗は(…)怖れをもって排除されるのである。
除草剤事件をめぐる同志会の人達の苦悩や葛藤は、この社会の圧倒的な趨勢とは対蹠的な関係を形づくっていく。除草剤使用者すなわち失敗した者を、追放したり排除したりしない関係をいかにしてつくるかというかれらの苦慮と、ついにそれを人間本来の生産的失敗として包摂するに至る経過と、さらにそれを自他に対して公開する勇気とは、失敗などは有害なだけのものとして排斥することによって一身を保守しようとする、現在の実利的世界とはなんと違っていることか。勿論その苦渋にみちた過程は、単線的ではありえない。(…)
(「「失敗」の意味」、100-102頁)
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わたしには、鉄砲隊編成の提案を、武田の老臣たちによって、にべもなく一蹴されてしまった信虎の絶望が、どんなに深いものであったかは、カルモナの信州からの手紙のおわりのほうにかかれている、信虎の「ずくひき」に関する短い感想からも、あきらかに読みとられるようにおもわれる。カルモナはいう。「ずくひきというのは、霞網の一種であるが、囮りの鳥に、普通の小鳥ではなく、小鳥の天敵である木菟をつかうところに特徴がある。したがって、小鳥たちは、時ならぬ時にかれらを呼んでいる仲間にたいする愛情によってではなく、夜の世界で、さんざん、かれらに脅威をあたえたくせに、いまや白日の光りのもとで、両眼の明をうしない、完全に無力化している敵にたいする憎悪によって、網にひっかかる、というわけだ。このときばかりに、小鳥たちは、木菟を嘲笑しようとしてあつまってくるのだ。(中略)大きな頭巾をかぶせられた木菟は、とまり木につながれ、ときどき、人間の手で糸をひっぱられるにすぎない。しかし、そのときのかれのおどろきあわてる大げさな動作をみていると、おもわず笑いださないではいられない。かれは、耳をピンとたて、みえない眼をカッとみひらいて、おそいかかりそうな気配を示したが、さっぱり、相手があらわれないので、こんどは、ひどくうろたえだし、うしろをふりむいてみたり、横を向いてみたり、股眼鏡をしてみたり、羽根をバタバタさせてみたりしながら、大騒ぎをはじめるのだ。それが、いろいろな小鳥たちの注意をひき、かれらのかれにたいする復讐心をあおりたて、まんまとかれらを網にひっかからせてしまうことになるわけであるが、これなら、小鳥たちにたいしても、あんまり同情を感じないで、あとでゆっくり鳥料理を賞味できようというものだ。(中略)わたしが、城内の林のなかでおこなわれている、ずくひきの光景を木蔭からながめていると、城主の父親で八十歳になる信虎が、若い侍女の肩につかまりながら、一歩、一歩、リューマチの足をひきずって、わたしのそばへやってきた。そして、しばらく囮りの木菟の滑稽なすがたをみつめていたが、やがてわれわれのまわりをうれしそうに飛びまわっている小鳥たちに視線を転じ、突然、ひとりごとのように、『ずく奴は、おれに似ているわ。鶫や鶉づれにまであなどられて』とつぶやいた。わたしは、なんの気なしにかれの顔をみおろしたが、その瞬間、ゾッとしないわけにはいかなかった。かれは、あらんかぎりの憎悪で顔じゅうをひきつらせ、獣のように歯をむきだし、かすかな唸り声をたてていた。そして、小鳥たちが、網に首を突っこむごとに、ニヤリと気味の悪い笑いをもらした。なるほど、かれは、木菟に似ているかもしれない。わたしは、レオナルド・ダ・ヴィンチが、『木菟でも、梟でも、かれらを嘲笑したものの眼をえぐりぬく』といっていたのを思いだした。」と。(212-215頁)
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マリーナ (…)年寄りは子供と同じで、誰かに可哀そうがってもらいたいのです。でも年寄りを可哀そうがる者などおりません。(41頁)
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じゃあ、ほんとは何ひとつ起こらなかったわけね。じゃあ、何も後悔することはないし、何も学ぶべきことはないわけね。みんな、まえとまったく同じようなふるまいを続けていけばいい、というのね。(159頁)
(…)あの警部さんがだれだったにせよ、これは断じて冗談ではないのよ。あなたたちも、あのときはそれがわかったし、何かを学びはじめていたのよ。ところが、いまはやめてしまったわ。あなたたちは、以前と同じやり方で暮らしていこうとしているのよ。(〃頁)
考えてみなきゃいけないわ、あたし。(160頁)