![]() | 「名づけ」の精神史 (平凡社ライブラリー (152)) (1996/06) 市村 弘正 商品詳細を見る |
市村弘正(著)
『「名づけ」の精神史』(平凡社平凡社ライブラリー (152)、1996/06)
この人の『敗北の二十世紀 増補』が読みたくて、でもその前に他のを読んでおこうと思ったのだった。
読んで良かった。
所収の数編いずれも素晴らしいのだけれど、特に映画『水俣の甘夏』(青林舎、1984年)について書かれた「「失敗」の意味」が印象的。
「水俣病患者家庭果樹同志会」(私はこれを読んで初めて知りました)の人たちが、水俣特産の甘夏ミカンを無農薬の有機農業で栽培しようという取り組もうとする。映画はその甘夏ミカンの宣伝を当初の目的にして撮られた。
けれども、撮影の途中から様子が変わってくる。
ところが、その制作過程でこの意図を挫くような事件が起きた。同志会のなかの六戸の農家が、無農薬をめざす活動に逆行するような除草剤を使用してしまったのである。映画はこの事件を見事に「記録」する。それによって、この映画は傑作となった。
(…)「落ちこぼれじゃなかですもんね。失敗したから失敗の会ちゅうわけです。人間だから失敗もあるじゃろう」というそれ自体は変哲のない言葉が、観る者に突きささってくるのは、私たちの生きる世界に「失敗」がいかに成り立ちにくくなっているかを、それが鮮明に浮き彫りにするからである。
安楽と効率を指向し、そのための計画とプログラムによって覆いつくされた社会生活(…)
こういう社会では失敗は、機械化された世界に相応しく、いわば事故や故障としてしか現われない。(…)そこでは、機械の故障と違って人間の失敗は負[マイナス]の一方向ではありえないことや、また機械には消耗をひきおこすだけの時間の経過が人間には成熟をもたらしうることなど、考慮の外へと放逐される。こうして失敗は(…)怖れをもって排除されるのである。
除草剤事件をめぐる同志会の人達の苦悩や葛藤は、この社会の圧倒的な趨勢とは対蹠的な関係を形づくっていく。除草剤使用者すなわち失敗した者を、追放したり排除したりしない関係をいかにしてつくるかというかれらの苦慮と、ついにそれを人間本来の生産的失敗として包摂するに至る経過と、さらにそれを自他に対して公開する勇気とは、失敗などは有害なだけのものとして排斥することによって一身を保守しようとする、現在の実利的世界とはなんと違っていることか。勿論その苦渋にみちた過程は、単線的ではありえない。(…)
(「「失敗」の意味」、100-102頁)
失敗するのは怖いし、つらい。
けれども、失敗したあとだって生き続けなきゃなんない。
そして生きている限り、失敗にだって「意味づけ」は可能だし、むしろ人間は何にでも意味づけせずにはいられない生き物なのであって、失敗ということにすら意味づけしてしまうだろう。
本当に怖くてつらいのは、その「失敗の意味づけ」で苦しむことなんだと私は思っている。
…私はしょっちゅう些細な私事で苦しんでるなー。バカだなあ。
いずれはこの市村さんのようなものを書けるようになりたい。
ああそうだ、私はこんなのを書きたかったんだ。ようやくちょっと気付いた。
勉強することが沢山あるねー。なんて嬉しいことだ。
しかも今はまだ勉強が許される環境にある。なんてありがたいことだ。
ちなみに今は『小さなものの諸形態』を読みはじめた。
なんと石原吉郎が出てきたぞ。ひゃー。
映画の参考はこちらをどうぞ。
http://www.independentfilms.jp/works/dvd_2-12.html
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