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学問の大禁忌は作輟なり。或は作し或は輟むることありては遂に成就することなし。故に片時も此の緩がせなくするを、その志を持すると云う。(吉田松陰、「講孟箚記」安政二年七月二十六日)
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赤よろし(鬼川太刀雄『ラーゲリ歳時記)
2008年04月22日 (火) | 編集 |
鬼川 太刀雄 (著)
『ラーゲリ歳時記』(岩波同時代ライブラリー、1993/02)

ポツダム宣言の受諾の連合国への打電が8月10日(前日に御前会議)、
改めて8月14日に御前会議、連合国へまた受諾用意の連絡。
玉音放送は8月15日、軍隊への停戦命令は翌16日。

ソ連が、当時日本領だった南樺太へ侵攻したのは、8月16日。

著者は、かの地で軍医候補生見習士官として勤務していた。
そこで俘虜になり、ソ連のエラブカへと連行され、強制労働に従事させられていた人。
この本は、そこでの川柳や短歌が沢山紹介されている。

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語学の勉強…(千野 栄一『外国語上達法』)
2008年04月22日 (火) | 編集 |
外国語上達法 (岩波新書 黄版 329)外国語上達法 (岩波新書 黄版 329)
(1986/01)
千野 栄一

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千野 栄一 (著)
『外国語上達法』(岩波新書、1986/01)

世の中にはすんごい人(たち)がいるものだ。
はふう。
繰り返し読みたくなる本。

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少年の夏(キング『ゴールデンボーイ 恐怖の四季春夏編』)
2008年04月21日 (月) | 編集 |
ゴールデンボーイ―恐怖の四季 春夏編 (新潮文庫)ゴールデンボーイ―恐怖の四季 春夏編 (新潮文庫)
(1988/03)
スティーヴン キング、Stephen King 他

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スティーブン・キング(著)、浅倉久志(訳)
『ゴールデンボーイ ―恐怖の四季 春夏編―』(新潮文庫、2003)


邦題にするなら、「少年の夏」なんてのが合うんじゃないかと。

半月くらい前に読んでた本。
キングの小説を読むのは、実はこれが初めてじゃあなかろうか?
この文庫には、表題作の前に「刑務所のリタ・ヘイワース」が収録されている。映画「ショーシャンクの空に」の原作。(私は映画は未見だけれど。)

「刑務所の~」は、暗いなかでも時々爽やかさがあって、最後も素敵で希望が見えた。
一方の「ゴールデンボーイ」のほうは、暗いまま行くところまで行ってしまった、という話だった。あらすじは読む前に少し知っていたのだけれど、あんな終り方をするとは…でも、あんな終り方以外にないのかもしれない。
以下は、トッド少年がナチ戦犯のドゥサンダーを初めて訪ねた際の場面。

「とにかく」とトッドはつづけた。「図書館の本はすごくよかった。ナチの強制収容所のことを書いた本は、ここのサント・ドナート図書館だけでも百冊じゃきかないよ。よっぽどおおぜいの人間が、あんなことを読みたがってるんだ。フォクシーのおやじさんの雑誌みたいに、写真はいっぱい載ってないけどさ、読んでるとぞくぞくしてきちゃった。(…)
「ぼくはそのことでほんとにレポートを書いたんだよ。どんな点をもらったか知ってる?Aプラス。もちろん、気をつけて書いたけどね。ああいうことを書くときは、書きかたがあるんだよ。気をつけなくちゃだめ」
「そうかね?」ドゥサンダーはわななく手で新しいタバコに火をつけた。
「そうさ。図書館にあったあの手の本はね、ぜんぶおんなじ書きかたなんだ。書いた人が、みんな自分の書いてることをゲロが出るほどいやがってる感じ」(…)「みんな、眠れないほど気をもんだって感じで書いてるんだ。こんなことが二度とおこらないように、われわれは気をつけなければいけないとか。ぼくもそんなふうにレポートを書いたさ。先生がぼくにAをくれたのは、ゲロを吐かずにあんな資料を読めたからじゃないかな」もう一度トッドは愛嬌たっぷりの笑顔を見せた。
(192-193ページ)



「よっぽどおおぜいの人間が、あんなことを読みたがってるんだ」。
私は戦後の狂おしいような激しいものを読んでいると、このトッド少年のことばを自分に向けて時々こう思う。
「私は、こんなことを読みたがってしまう人間なんだ」。
これはもうずっと前から思ってたことで、今後もずっと思い続けるんじゃないかとあきらめてる。

小説に戻るけれど、結局トッドに過去を根掘り葉掘り喋らされたドゥサンダーは、見まいとしていた悪夢を再発させ、どんどん荒れていく。
それと一緒にトッド少年も、どんどんドス黒くなっていく。
そんなのを読みながら思ったのは、宗教や哲学で「自覚」だとか「反省」だとかいうけれど、それって本当に「立派」なことなんだろうか?ってこと。
過去にした恐ろしいことは、ただそれを「思い出す」だけじゃあ、ダメなんだ。自分で思い出すのも、他人に無理矢理思い出させられるのも、もちろん他人のを思い出させるのも、どれもダメなんだと思う。
だから「自覚」や「反省」って、「思い出す」のとはまた違うナニカなんだろう。

難しいものだ。きっと簡単なことだと思うのだけれど。

おまけの話。
ドゥサンダーはトッド少年の名前を最後まで呼ばない。
Todはドイツ語で死だとか死神だとか。(Uさん、教えてくれてありがとう。)
原文の英語ではTodd(dがふたつ)かもしれないけれど、それは呼べないことだろう。
お台場で買った私のケロヨンの名前はトッド…ジョシュア・トッドからとっただけだったのだが。

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奇跡のクマ(ミルン『クマのプーさん』)
2008年04月20日 (日) | 編集 |
クマのプーさん Anniversary Editionクマのプーさん Anniversary Edition
(2006/09)
E.H. シェパード、A.A. ミルン 他

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A.A. Milne (原著)、E.H. Shepard (原著)、石井 桃子 (翻訳)
『クマのプーさん Anniversary Edition』(岩波書店、2006/09)

わーい!
オールカラーの挿絵が素敵だなあと思って、注文してしまった。
先日とどいた。

 プーは,なかみを見たとき,もうすこしで,ころぶところでした。そんなにうれしかったのです。それは,特製えんぴつケースだったのです。そのなかにはベア(クマ)というしるしに,Bの字のついたえんぴつや,ヘルプフル・ベア(役にたつクマ)というしるしに,HBのついたえんぴつや、ブレイヴ・ベア(勇敢なるクマ)というしるしに,BBのついたえんぴつなどっがはいっていました。
(158ページ)



こういうのって、とっても素敵だと思う。
奇跡のようなおはなし。

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Turtle Mountain、Bridge Book
2008年04月20日 (日) | 編集 |
図書館へ行ったついでに、そのまた近くの本屋で立ち読み。

【1冊目】
ドストエフスキー―謎とちから (文春新書 604)ドストエフスキー―謎とちから (文春新書 604)
(2007/11)
亀山 郁夫

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亀山 郁夫 (著)
『ドストエフスキー―謎とちから』(文春新書、2007/11)

前半はすっとぱして、最後のスメルジャコフの父親のあたりから立ち読み。
これが面白い!
スメルジャコフの父親の推測もなんだけれど、続編として予想されたはずの皇帝暗殺についての話も「おおーう」と。
同じ亀山郁夫氏の『「カラマーゾフの兄弟」続編を空想する』(光文社新書)も読んでみたくなった。

ちなみに、この人の新訳カラキョウ(って略すのが流行なの?)は未読。


【2冊目】
人はなぜ「美しい」がわかるのか (ちくま新書)人はなぜ「美しい」がわかるのか (ちくま新書)
(2002/12)
橋本 治

商品詳細を見る

橋本 治 (著)
『人はなぜ「美しい」がわかるのか』(ちくま新書、2002/12)

こっちは前半分だけ立ち読み。
美しさ、ではなくて、美しい、というのがポイント。
自分が「美しい」と感じる対象は、自分には関係のない、利害関係のない存在で、それをその無関係さを含めてまるごと受容するのが「美しい」の中身…そういったことらしい。

けれども、たしか『三島由紀夫のレター教室』には「利害」として「一、大金」「二、名誉」「三、性欲」「四、感情」ってあった。
最後をどうすりゃいいんだろう。

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かちかちやま
2008年04月15日 (火) | 編集 |
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贈与について
2008年04月07日 (月) | 編集 |
全てに言えることだが、

買われたくないならば、タダで贈ることだ。
きょうは、どんな?
2008年04月05日 (土) | 編集 |
 「プー、きみ、朝おきたときに、まず第一に、どんなこと、かんがえる?」

 「けさのごはん、なににしよ?ってことだな」と、プーがいいました。

 「コブタ、きみは、どんなこと?」

 「ぼくはね、きょうはどんなすばらしいことがあるかな、ってことだよ。」

 プーはかんがえぶかげにうなずきました。

 「つまり、おんなじことだね」と、プーはいいました。

*****

 「モンド、きみ、朝おきたときに、まず第一に、どんなこと、かんがえる?」

 「今日は、どんな本を読もうかな?ってことかな」と、モンドがいいました。

 「○○、きみは、どんなこと?」

 「ぼくはね、きょうはどんなすばらしいことがあるかな、ってことだよ。」

 モンドはかんがえぶかげにうなずきました。

 「つまり、おんなじことだね」と、モンドはいいました。

*****

石井桃子さんのご冥福をお祈り申し上げます。

*****

どんな母語(私の場合つまり日本語)でも、言いたくない。
どんな日本語の言い回しも、自分の気持ちを表現しきれない。

そんな気分の時がある。

そういう時に、たとえば英語やエスペラントは便利。

母語でない言葉っていうのは、そんな欲求で学ばれることもあるだろう。
気になる文脈と比喩
2008年04月03日 (木) | 編集 |
ここ数ヶ月、気になり続けていることがある。
一つは文脈。
もう一つは比喩。

よいことを文脈上において言うのは、そんなに簡単なことではない。
が、それでもやはり何かが決定的に足りない。
「一体、文脈とは何なのか/何でないのか。」
それがここ半年ほど頭の片隅から離れない。

物事をたとえで言い表すとは、どういうことなのか。
比喩にも暗喩や直喩など、色々な形式がある。
ああそうか、形式も絡んでくるか。
そんなのがここ四ヶ月ほど頭のもう片隅にあって離れない。

真理ってのは、当たり前のことを逆説的にいうこと…?
だとしても、ならばそうやって形式化することに何の意味が生じるのか。個々の事例をまとめあげるためか。
まとめあげるのは何のためか。比較するためか。
比較してどうするのか。

って方向に考えちゃいけないんだがな。

いちごのポッキーは美味しいなあ。
残念です/Gratulon
2008年04月02日 (水) | 編集 |
順番をつけられた者の気持ちを、
順番をつけたことのある者が分かるのは、
順番をつけたという自覚をしたときだろうよ。

順番をつけたという自覚をするのは、
順番をつけるまで自分を追い詰めたときで、
順番をつけざるをえない残酷と非力さを知るだろうよ。

分かる、
自覚をする、
知る。

それらはするのであって、
できるのではないだろうよ。

そして私はせざるを得ない、順番をつけることを。

*****

「私はあの時、あのようにいったのは、まず第一にみんなを喜ばせたいと思ったからであった。それから意表をついたことをいいたいからであった。そのあとのことは、もう私にはどういっていいのか分らない。」(小島信夫『墓碑銘』より)

*****

Mi gratulas vin pro via 30a naskiĝtago.

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