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学問の大禁忌は作輟なり。或は作し或は輟むることありては遂に成就することなし。故に片時も此の緩がせなくするを、その志を持すると云う。(吉田松陰、「講孟箚記」安政二年七月二十六日)
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異人にめまい(タイモン・スクリーチ『大江戸異人往来』)
2008年05月28日 (水) | 編集 |
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グイ呑みと金魚(藤枝静男『田紳有楽;空気頭』)
2008年05月24日 (土) | 編集 |
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ニプ島≠ニッポン(沼野充義『徹夜の塊 ユートピア文学論』)
2008年05月24日 (土) | 編集 |
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神童だけれど(谷崎潤一郎『潤一郎ラビリンスⅢ 自画像』)
2008年05月19日 (月) | 編集 |
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GOD BLESS YOU(カート・ヴォネガット『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』)
2008年05月19日 (月) | 編集 |
ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを (ハヤカワ文庫 SF 464)ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを (ハヤカワ文庫 SF 464)
(1982/02)
カート・ヴォネガット・ジュニア

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カート・ヴォネガット・ジュニア(著)、浅倉久志(翻訳)
『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』(ハヤカワ文庫、1982/02)

「億万長者にして浮浪者、財団総裁にしてユートピア夢想家、慈善事業家にしてアル中である、エリオット・ローズウォーター氏の愚かしくも美しい魂の声」(文庫裏の解説)が書かれた本。
この前に読んだ『スローターハウス5』のほうが私はすごいと思うが、こちらも十分すばらしいと思う。

エリオットは、ある種の人間たちから狂人扱いされていくわけだが、それについて最後のほうでおなじみ(らしい)キルゴア・トラウトのことば。

「つまり――」と、トラウトは両手をこすり合わせ、そしてこすり合わせた手を眺めた。「あんたがローズウォーター郡でやったことは、断じて狂気ではない。あれは、おそらく現代の最も重要な社会的実験であったかもしれんのです。なぜかというと、規模は小さいものだけれども、それが扱った問題の不気味な恐怖というものは、いまに機械の進歩によって全世界に広がってゆくだろうからです。その問題とは、つまりこういうことですよ――いかにして役立たずの人間を愛するか?
 いずれそのうちに、ほとんどすべての男女が、品物や食糧やサービスやもっと多くの機械の生産者としても、また、経済学や工学や医学の分野の実用的なアイデア源としても、価値を失うときがやってくる。だから――もしわれわれが、人間を【人間】だから大切にするという理由と方法を見つけられなければ、そこで、これまでにもたびたび提案されてきたように、彼らを抹殺したほうがいい、ということになるんです」
(288頁)

「(…)貧困は、脆いと定評のあるアメリカ人の魂にとっても、わりあいに軽い病気ですが、むなしさという病気は、強い魂も弱い魂もおなじように冒し、そして例外なく命とりになるのです。
 ぜがひでもその治療法を見つけなくちゃなりません」
(299頁)



【】部分は原文傍点…モンド注。

私はエリオットのようにはなれないが、なるべくそうありたいと思う気持ちはある。
けれども、上の内容をマッタクワカラナイ人間もいることだろう。そして私は、腹が立つとそんな人間をこそ「抹殺したほうがいい」と思ってしまうことがある。そこが私の大きな欠点なのだが。

ところで、エリオットの父や妻がまた大事な存在だ。
家族!その人間関係!これがあってもなくても、言及されるとされないとではどうも話の深みが違う。

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夫婦の愛と狂気(島尾敏雄『死の棘』)
2008年05月19日 (月) | 編集 |
死の棘 (新潮文庫)死の棘 (新潮文庫)
(1981/01)
島尾 敏雄

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島尾 敏雄 (著)
『死の棘』(新潮文庫 ; 改版版、1981/01)

先月読んでた本。
ものすごかった。これは素晴らしい。


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集団精神療法から(なだいなだ『神、この人間的なもの』)
2008年05月19日 (月) | 編集 |
神、この人間的なもの―宗教をめぐる精神科医の対話 (岩波新書)神、この人間的なもの―宗教をめぐる精神科医の対話 (岩波新書)
(2002/09)
なだ いなだ

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なだいなだ(著)
『神、この人間的なもの―宗教をめぐる精神科医の対話―』(岩波新書、2002/9/20)

現代の科学(精神科も一応、科学的な知に入ると思うので)の専門家から見た宗教の話。といっても、そのもともとはどんな風だったのかってのを、主にキリスト教のイエスとその集団を例に話されている。イエスの生前とか、死後とか。
宗教、特に三大宗教がはじめは集団精神療法のようなものだったのではないかというのは、そうだなあと同感。多神教の世界では病気でも何でも、災厄は多くの神々のせいにされて、へたをすると人間は無責任になった。三大宗教はそれらの神々を上回る唯一神(もしくは類似の考え)を説いて、少なくとも心因性のヒステリー等の病気は治していたのではないか…それは当時からするとかなり大きなことだったのではないか…という話。
精神科医のことばによると、そんなにうまく科学的なひびきでまとめられてしまうのね。

へーと思ったのは、現代人が宗教に入る場合について。
一番多いのが、習慣(親や家が○○教だったとかいうこと)。
次に多いのが、折伏されて入る場合(強い勧誘やら説き伏せられて、って具合)。
「≪不安と絶望≫に後ろから押されて」(45頁)、「切羽詰って」(〃)入る人は、最も少ないらしい。
さもありなんとは思えども、やはりそうか…と。

あと、「T(著者の友人の精神科医―モンド注)「ブッダは人間の不幸を神のせいにしないで、人間自身の中に原因を考えろという。それは超能力をもった部族の神の否定じゃないか」」(54頁)とか、「B(著者―モンド注)「一神教は、神に絶対的な超能力と権威を認めるものではないのかね」/T「別の角度から見れば神を一人にして、永遠のかなたに遠ざけたのさ。(…)神がいるかいないか、論争されるほど遠くに行っちゃった。」(〃)

まあでも、一番印象にあるのは、戦後まもなく著者と上の友人が勤めていた病院にいた、自称天皇の患者の話。当時はあちこちに自称天皇がたくさんいたって部分で、武田泰淳の『富士』を思い出して妙に感じるものがあった。

T「いつまでたっても、かれから天皇だという妄想が取れない。それでずっと閉じ込められていたかれに、おれは病棟の外に出して、清掃の仕事を任せることにした。それをかれに提案したときだよ。自分が天皇だと思っているかれのことだ。《天皇になにをさせるつもりか》と怒り出さないか、おれは心配だった(…)でも、思い切っていってみると、こちらがかえって訝ってしまうほど、実ににこやかに引き受けてくれた。(…)それである日、おれは《あんたはほんとうに天皇なのか》と聞いた」
(…)
T「かれの返事か?《わしは今度の戦争で、天皇として何百万の国民を死なせた。国民から、何百万の夫を、息子を、父を奪った。何百万の家族の家を焼かせた。そのわしが、のうのうと宮城の中で暮らしていられるか。外に出れば、迫害と恥辱と困窮とが待ち受けているのは承知の上だ。でも、なんでも耐えようとこころに決めて、あえて出てきたのだ。少しでも国民に対する罪滅ぼしになればいいと思ってな》だと」
(167-169頁)



この患者がどうしてそうなったのかは、分からない。けれども、一体人間の精神の異常正常ってなんなんだろうね。

そんなこんなで、タイトルがオーソドックスに刺激的な割に、内容は人間について書かれた真っ当な本でした。大事なのは、きっとこんなところ。

T「歴史というのは文献で証明される科学だと思い込んでいるものもいるが、おれはあくまでも推論にしか過ぎないと思う。二千年前に生きていた人間が、ある決断の時にどう考えていたかは、文献などで証明できるものではないよ」/(…)今を考えるときおれは、イエスが今おれたちの現代に立ったら、なんというかを想像する。その反対に、歴史を考えるときは、自分が歴史のその点に立ったらどう感じるかを中心に置く」
(61頁)



誰かの思想を論じるとき、その人の体験やら時代背景やらに理由を求めるのを嫌がる研究者ってのもいるようだし、確かに全てがそういう個別の人生に解消されては意味がない。(意味論がテーマなわけじゃなし。)
けれどもやっぱり、誰かが強く思った何かを追究したいなら、「なんで」「どうして」の一つとして、その人の人生に共感したり同調したりしきれなかったりする位でもいいんじゃないのかね。
自分がその何かに惹き付けられずにいられなかった、その何かの美しさは、そうやって感じ取るものだろうし、美しいと思わなきゃ追究なんてやってらんないのじゃないかと思う。

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写真がたくさん(『文豪・夏目漱石 そのこころとまなざし』)
2008年05月15日 (木) | 編集 |
文豪・夏目漱石 そのこころとまなざし文豪・夏目漱石 そのこころとまなざし
(2007/09/20)
江戸東京博物館・東北大学

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江戸東京博物館・東北大学(編集)
『文豪・夏目漱石 そのこころとまなざし』(朝日新聞社、2007/9/20)

図書館の入り口付近に飾ってあったので、なんとなく借りた。
もううろ覚え…。
夏目漱石は自分の痘痕を気にして、写真も修整させてたってのが意外だった。
若い頃の写真とか、かなり整ってるのにね。
写真といえば、写真をとると長生きするとか病気を回復するだとかいう俗説があったらしく、死の床についていた漱石を、本人に分からないように家人が写真を撮らせたりしていたというエピソードがあった。老後は家族に囲まれて、その点はこの人にとっては良かったのだろう。
それにしても、外国(留学)生活ってのは人によって合う・合わないがあるのだとは思うのだが、どうして漱石には合わなかったんだろうか。
まあそんな感じで。

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バリ島いいなあ(中村雄二郎『魔女ランダ考』)
2008年05月15日 (木) | 編集 |
魔女ランダ考―演劇的知とはなにか (岩波現代文庫)魔女ランダ考―演劇的知とはなにか (岩波現代文庫)
(2001/12)
中村 雄二郎

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中村雄二郎(著)
『魔女ランダ考―演劇的知とはなにか』(岩波同時代ライブラリー、1990/9)
(上のAmazon画像は岩波現代文庫(2001/12))

有名な本(だと私は思っていた)。図書館で借りて、先月やっと読んだ。

たとえば「およそ〈科学の知〉は、物事を対象化し操作する方向で、因果律に即して成り立ち、その際、見るものと見られるものとが分裂してそこに冷ややかな対立がもたらされる」(255頁)といった、「冷ややかな対立」という表現が、しょっちゅう出て来る。

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説教節(小沢昭一のCD2枚)
2008年05月05日 (月) | 編集 |
珍しく、本でなくてCD。
知人に説教節に興味があると話したら、貸してくれた。
説教の研究書というと、以前に関山和夫の本を少し読んだくらいなのだが、やっぱ実際に聞きたいし!
私は説「経」だと思っていたのだが、説「教」でもいいみたいね。



【1】
唸る、語る、小沢昭一の世界「節談説教板敷山/榎物語」
(ビクターエンタテインメント、2001/12/19)


小沢昭一さん、私はよく知らないのだが、俳優で俳人らしい。
これは、その小沢さんが昔の説教師のテープを聴いて体得した説教「板敷山」(1972年、京都シルク・ホール)と、永井荷風の「榎物語」(を語った1971年、俳優座(都民劇場))もの。

「板敷山」は「親鸞聖人御一代記」に出て来る、親鸞が49歳の頃の話。
当時親鸞は関東で布教していたのだけれど、板敷山周辺はずっと修験道が盛んな土地だったそうな。
お話は、そこで勢力のあった山伏の弁円が、親鸞の人気に嫉妬して、山道で親鸞を待ち伏せして殺そうとするのだけれど、最後に改心して、さらに数年後には…という内容。
聞き惚れてしまった。

その次の「榎物語」は、もっと物語色が濃くて更に素敵でした。



【2】
小沢昭一が訪ねた「能登の節談説教」
(ビクターエンタテインメント、2001/12/19)


こちらは、1990年に石川県の満覚寺で行われた第20回布教大会(毎年6/21に行われているらしいのだけれど、まだ続いているのかな?)の、一部を、小沢さんが記録したもの。
説教「信心獲得」(茂利宗玄師)と、説教「弥陀の誓願不思議に助けられ」(広陵兼純師)とが入ってます。

小沢昭一さんのほうが芸達者で楽しめる感じ(でも題材が違うせいかもしれない)はするものの、こちらも迫力十分。
特に、語り手のすぐ目の前に聞き手の大衆がいるんだろうなあというのが、ざわめきからよく伝わってきます。
「弥陀の誓願不思議に助けられ」では、ついほろりときてしまった。

前に狂言を観に行った時も思ったことなのだけれど、こういう舞台や講談の類って、過去にそれを観て来た人たちのことに思いを馳せながら観ると、すっごく深く身に染みる(気がする)。
ある芸能が残っているということは、その芸能を素晴らしいと思う人々というのが昔から現代までずっといたということで、それはどんな人たちだったんだろうか、と。

ともかく二枚ともお勧めです。

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山びこ学校(久野収ほか『戦後日本の思想』)
2008年05月03日 (土) | 編集 |
戦後日本の思想 (同時代ライブラリー)

ku久野収ほか_戦後日本の思想

久野 収 (著), 藤田 省三 (著), 鶴見 俊輔 (著)
『戦後日本の思想』(岩波同時代ライブラリー、1995/09)

たしか昨年読んでいて、記録書かなきゃなーと思っているうちに返却期限到来。
それからずっと忘れていたのだけれど、ふと思い出した。

「心」とか「生活綴り方運動」とか、そんな話を漠然とおぼえている。
というか、漠然とそれくらいしかおぼえていない。
無着成恭『山びこ学校』(いまは岩波文庫で読めます)が気になっていて、この『戦後~』にもやっぱり出てきたし。

ところで、映画化された「山びこ学校」には、なんと東野英治郎が出演!ああ、初代黄門様…笑い顔の歯が眩しかった。
でも私は、西村晃の二代目黄門様がもっと好き。

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眠くないときに、か(阿満利麿『法然の衝撃』)
2008年05月01日 (木) | 編集 |
法然の衝撃―日本仏教のラディカル (ちくま学芸文庫)法然の衝撃―日本仏教のラディカル (ちくま学芸文庫)
(2005/11)
阿満 利麿

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阿満 利麿 (著)
『法然の衝撃―日本仏教のラディカル』(ちくま学芸文庫、2005/11)

去年とちゅうで放り出してしまっていたのを、先々月あたりにようやく読み終えた。
こんな素晴らしい本なのに、私ってば…。
なんというか、やっぱり私は、親鸞よりも法然のほうがゴツゴツしたあたたかみを感じる。

 『徒然草』の著者・兼好法師は、法然浄土教の魅力を次のように記している。

   ある人、法然上人に、「念仏の時、睡りにおかされて行を怠り侍る事、いかゞしてこの障りを止め侍らん」と申しければ、「目の醒めたらんほど、念仏し給へ」と答えられたりける、いと尊かりけり。また、「往生は、一定と思へば一定、不定と思へば不定なり」と言はれけり。これも尊し。   (第三九段)

 (…)
 かねて私は、この段が、法然浄土教の本質をきわめて正確につかんでいると考えてきた。というのも、前者のエピソードは、法然の念仏が、昔からの苦行主義とまったく異なる世界のものであることをはっきり示しているし、後者は、法然浄土教において、〈信〉がいかに重要な意味を持っているかを示してあまりあるからである。
(73-74頁)



ああ本当に明解です。なのにどのページも面白い。
苦行をすれば救われる…といった考えを否定することは、ある意味で苦行よりも厳しい論理が背後にある。
それが「信」の問題なわけだけれど。
私は昔の人の話なぞを読んでいて、時々こう思う。「この人は自分が救われたなんて死ぬまで思えなかっただろうな」「けれども、だからこそ、この人は(死後に)救われていて欲しいな」とね。

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翼賛会とルナール(杉森久英『大政翼賛会前後』)
2008年05月01日 (木) | 編集 |
大政翼賛会前後 (ちくま文庫 (す18-1))大政翼賛会前後 (ちくま文庫 (す18-1))
(2007/12/10)
杉森 久英

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杉森 久英 (著)
『大政翼賛会前後』(ちくま文庫、2007/12/10)

著者が、大学卒業後に中学校の教師を経て、中央公論に入社し、しばらくして退社、そして大政翼賛会興亜局へ…と辿っていった人生の回想録。
私の知らない人の名前が沢山出てきた(ああ恥ずかしい)のだが、それでも面白く読めた。

それにしても、文章を読んでいて、なーんか楽観的というか、アッカルイというか、そういう感じを受けるのは何故かしらん。
次のような部分を、もう少し深めてもらえたら、また違ったのかもしれないな。

 なお蓑田胸喜という人は、戦時中の言動が過激だったところから、神懸りといわれたり、狂喜あるいは狂気といわれたりして、中傷と讒侮の標的となっていた。(…)
 彼に対する攻撃の矢は、主として左翼から放たれたが、その左翼にも問題があった。つまり、翼賛会が左翼だという彼の指摘は、それほどまちがっていなかったのである。だからこそ、国を挙げての、あれほどの賑やかな喝采をもって迎えられた岸田文化部長が、たった一人の「狂喜」の利刃の前に屈服しなければならなかったのであろう。
 いろんな意味で、戦時中の蓑田胸喜その他、超国家主義者といわれる人たちの行動は、見直されていいと思うが、それにはもうすこし時間が必要だろう。いまの段階ではっきり言えることは、彼はそのころすでに、敗戦後の日本を襲う民主化、共産化の潮流(たとえば、羽仁五郎、清水幾太郎、中島健蔵らによって代表されるような)を予見して、防波堤を築こうとした先覚者の一人だったということだろう。半世紀前の私には、もちろんそこまで見る目はなくて、(…)
(220-221頁)



そうそう、上のように岸田國士が翼賛会の文化部長で登場したのに驚いた。
ルナールの『にんじん』(岩波文庫)の翻訳者、というくらいしか知らなかったもので。

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またソ連抑留ついての本(高杉一郎『征きて還りし兵の記憶』)
2008年05月01日 (木) | 編集 |
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