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学問の大禁忌は作輟なり。或は作し或は輟むることありては遂に成就することなし。故に片時も此の緩がせなくするを、その志を持すると云う。(吉田松陰、「講孟箚記」安政二年七月二十六日)
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悪の道化の歌(ロートレアモン『マルドロールの歌』)
2009年03月28日 (土) | 編集 |
マルドロールの歌 (集英社文庫)マルドロールの歌 (集英社文庫)
(1991/04)
ロートレアモン

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ロートレアモン『マルドロールの歌』(前川嘉男(訳)、集英社文庫)

誰が何をしました形式の話を読みたくないときに、
最適の本だと思いました。

耽美とかなんとかいう評をきいたことがある気もしますが、
実際は別にそうでもないと感じました。

訳者の解説はよく分からず(言いたいことは分かるが文章がどうも…)、
ふとそのような人の訳で読んで大丈夫なのかとも不安になりましたが、
でもロートレアモンにおそろしく熱を持った人のようですし、原文が原文でしょうし、
よいのだろうと思いました。

もし読者が、このところ文章がながすぎると思われるなら、ぼくの陳謝をうけていただきたいが、ぼくが卑屈になることは、期待しないでもらいたい。
(168ページ)



なんでもない一文のようでいて、口に出すと奇妙におかしいし、しかしやはり書かれていることは冷静だ。

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サンポが欲しい(『カレワラ物語―フィンランドの神々』)
2009年03月20日 (金) | 編集 |
『カレワラ物語 フィンランドの神々』(小泉保(編訳)、岩波少年文庫)

サンポというのは、「富を生産する秘密の器械」(180ページ)。
岩波文庫でも『叙事詩カレワラ』が復刊されているようですね。この少年文庫は、その叙事詩の大筋を物語として編訳されたもの。なおカレワラとは、「カレワという部族の勇士たちの国」という意味だそうです。
19世紀、医師エリアス・リョンロートがカレリア地方(フィンランド東部)の農村を訪ね歩いて、聞き取り記録したそうな。

物語としても面白いのだけれど、訳者あとがきにこんなことが。

 フィンランドは西暦一〇〇〇年ごろ、キリスト教を広めようとする北方十字軍によりスウェーデンに占領されました。それから七百年の間スウェーデンに支配され、そのため公的な行政や教育はスウェーデン語で行なわれ、フィンランド語はたんなる民衆のことばにすぎませんでした。ところが、一八〇九年にスウェーデンはロシアと戦って敗れたために、フィンランド全体がロシアに譲りわたされてロシア領となってしまいました。
 そのころから、知識階級の間に自分の国のことばが大切であることが認識され、地方で歌い語られてきた民間の伝承詩が注目されるようになりました。農村では以前から農民詩人により物語を述べる叙事詩や信条を歌う抒情詩が作り出され、歌いつがれていました。
(182-183ページ)

 この『カレワラ』の出版(リョンロートによる1835年の出版―引用者注)は国外からも国内からも大きな反響がありました。ドイツのヘルデルという思想家は「叙事詩をもっているということは独自の文化を備えていることになるから、国民としての資格がある」と褒めたたえました。フィンランド人にも自分たちがこのような立派な文化的財産を所有していることの誇りと喜びがわきあがり、国民としての自覚をもつようになりました。こうして、人々の間に独立の機運がたかまり、ついに一九一七年にフィンランドはロシアから自主独立を勝ち取ることができました。
(184ページ)


私がいま目にしている文字ひとつにも、私よりも長い歴史があるのだな。当然のことなのにな。
そういえば某携帯電話のCMで、日本の昔話を省略して語る場面があって、最後に女優が「めでたし」と言っている(製作者が言わせている)。でもそこでとりあげられている「浦島太郎」とか「かぐや姫」とか、どう考えても「めでたし」では終わらない話なんだけど。
変なの!

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贋・理解者(富士正晴『贋・久坂葉子伝』)
2009年03月20日 (金) | 編集 |
贋・久坂葉子伝 (講談社文芸文庫)贋・久坂葉子伝 (講談社文芸文庫)
(2007/08/11)
富士 正晴

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富士正晴『贋・久坂葉子伝』(講談社文芸文庫)

これまた分厚い本でした。文庫にして599ページ。解説やら全てをいれれば600ページを超えています。
富士正晴にここまで思われた久坂葉子は、どれほど魅力的だったのだろうか。私は久坂の書いたものを読んだことがあるが、それは熱く正直で、妙に爽やかで悲しい感じを受けた。と、これだけ書くと富士正晴と似た感じだが、両者は全然違う。

 わたしにはどうも久坂葉子がシンデレラ姫だとは思えなかった。「幾度目かの最期」という私小説は、いつもわたしを苛々させる。自殺する人間は、何と得手勝手な時限爆弾をしかけて行くのだろう。そいつは自分を苦しめた世界をばらばらにくだいてしまいたいから死ぬのではあるまいか。世界の中で最も自分に手近な自分自身を爆発させて、そいつを世界爆発の口火にするのではあるまいか。こいつ、水爆の先を行きやがったと、私は下卑た感想を口に出したのである。親達がやり切れながるのも無理はない。けれど又、親達をやり切れながるのも無理はないのだ。
(532ページ)


ここにどれだけの理解と愛情と冷静さが書かれていることか。
と思った。でも同時に、
それだけの理解者であっても、愛情と冷静さがあっても、どうしようもないことがあるのか。
とも思った。

タイトルにある「贋」の文字。これこそ嘘なんじゃないのか。
本当の伝記のようだ。

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美(女)と崇高(男)(イマヌエル・カント『美と崇高との感情性に関する観察』)
2009年03月20日 (金) | 編集 |
美と崇高との感情性に関する観察 (岩波文庫 青 626-0)美と崇高との感情性に関する観察 (岩波文庫 青 626-0)
(1982/12)
イマヌエル・カント

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イマヌエル・カント『美と崇高の感情性に関する観察』(上野直昭(訳)、岩波文庫)

こんなものまで書かれていたのですね、カント様は。
妙に誤解されないのかしら?たとえばこんなところ。

婦人達は美しくて愛嬌があれば、それで沢山だ。
(56ページ、引用はすべて旧字を新字に改めてあります。)

最も大切な事は、男子は男として、婦人は女として、より完全になることである。
(57ページ)


いやはや。色んな人が、タイトルの「観察」というのを強調するのがわかる気がします。
私なぞには、このくらいくだけた内容のほうが、勉強の導入としては助かりますが。
ある程度くだけた書き方をされたもののほうが、人間くささが感じられて「これを書いた人はどんなひとなんだろう」と興味を抱くから(勿論その逆もあるけれど)、勉強も面白くなろうというものです。

というわけで、美(女)と崇高(男)について思いをめぐらせるには大変興味深い本でした。
これが更なる勉強に発展すれば、私も立派なものなんだろうけどね。

観察って楽しい。が、観察でおわってばっかりだ。

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私の教科書(鶴見俊輔『戦後日本の大衆文化史』)
2009年03月20日 (金) | 編集 |
戦後日本の大衆文化史―1945‐1980年 (岩波現代文庫)戦後日本の大衆文化史―1945‐1980年 (岩波現代文庫)
(2001/04)
鶴見 俊輔

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鶴見俊輔『戦後日本の大衆文化史 1945~1980年』(岩波現代文庫)

『戦後期日本の精神史』と併せて、私の教科書のような本。
随分前に読んで、埋れて(ってほど本持ってないけど)たのを見つけた。せっかくだから記録。
「サザエさん」をとりあげたところとか、こんな具合。

 「サザエさん」が安楽な日常生活を愛し、それに満足しているということは、六〇年代から七〇年代にかけて日本にすでに現れている経済的帝国主義を見逃すという傾向をつくっているでしょう。しかし同時に、「サザエさん」の思想のなかにはまだまだ二つのブレーキが働いています。一つには、たとえば日本の海外における経済的利害を守るために軍隊を派遣すべきである、という戦前の日本がもっていた思想が、影さえも見られないことです。もう一つは、平均の人間の生き方、暮し方ができればそれでいい、というはっきりした信念で、そこから見ますと、たとえ国家のためであっても、莫大な富をつくるためにものすごく努力をする、などということは滑稽なことに見えます。(…)それは、穏やかな抵抗への共感であって、過激な革命運動への共感ではありません。それが普通の市民の正直な本音でしょう。しかし、「サザエさん」の内容の分析は、市民運動から遠い市民もまたただの無関心の中にいるのではなく、ある種の理想に支えられていることを示します。
(225-226ページ)


第一の理想について。「日本の海外における経済的利害を守るために軍隊を派遣すべきである」って、現在どんどん政治で行われていることじゃない?自衛隊の海外派遣の理由には、「国際貢献(日本国が外国からよく思われるように、それで利益があるように)」ってのがしょっちゅうだ。

第二の理想について。「平均の人間の生き方、暮し方ができればそれでいい」ってのを、「はっきりした」信念として持てているかどうか?漠然と思ってるだけじゃダメなんだろう。

なんというか、この人の書いたものを読んでいると、普遍と特殊の一致(?)というか、豊かな知識に基づく常識感覚、またその強さ、とでもいったものを感じます。
勉強しなきゃあ。

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続・はじめてのナショナリズムに(塩川伸明『民族とネイション』)
2009年03月20日 (金) | 編集 |
民族とネイション―ナショナリズムという難問 (岩波新書)民族とネイション―ナショナリズムという難問 (岩波新書)
(2008/11)
塩川 伸明

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塩川伸明『民族とネイション―ナショナリズムという難問』(岩波新書)

ああっと、アンダーソンに続けてこちらを記録するんだった。
ナショナリズムつながりね。
エスニシティをテーマに大きくとりあげている点が特徴なんだと思う。
一つだけ。

 これまで「自前の」国民国家をもたなかった民族が自らの国家をもつことは、民族問題の全面解決を意味するわけではない。新しい国家の範囲をどのように定めても、必ず新しい領土内でのマイノリティという問題が浮上するからである。これは第一次世界大戦後の中東欧における「民族自決」以来、おなじみの問題である。問題をさらに複雑にするのは、新興国家内のマイノリティには、しばしば「母国」とみなされる国が近隣に存在してるという事情である。
(162ページ)



「(…)マイノリティという問題」とあるのは、もちろん「マイノリティ」が「問題」だといっているのではない。(そんなふうに考える馬鹿者がいるからね、時々。)

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鋭敏な感覚あってこそ(日高六郎『戦後思想を考える』)
2009年03月20日 (金) | 編集 |
戦後思想を考える (岩波新書 黄版 142)戦後思想を考える (岩波新書 黄版 142)
(1980/01)
日高 六郎

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日高六郎『戦後思想を考える』(岩波新書)

奥付をみると第一刷が出たのは1980年12月。
もう30年近く前なのに、内容が全くといっていいほど古く感じられないのは、すごい。
目次をあげるだけでも、とっても価値があると思う。

 目次
戦後思想を考える
体験をつたえるということ
私のなかの「戦争」
「滅公奉私」の時代
管理社会化をめぐって
青年について
四・一九と六・一五
水俣から考えること

このうち最後の「水俣から考えること」の、こんなところが印象的。

土本典昭さんの映画に、『不知火海』があります。私はその最初の出だしのところでほんとうに感動しました。字幕にこう出てきます。「水俣湾、月の浦、昭和四八年一二月」と。そしてそれと同時に絵が出てくる。まず浜辺があるわけね。そしてそこにひとりの年とった漁夫が立っている。その年とった漁師がそこの海岸の岩からカキを取り上げて、つぶやくのです。「もうカキは増えておるですね。もうこの調子ならばまあ二年ぐらいしたら、そうとう増えますよ」とこう言っているのです。それが最初の場面です。
 これはほんとうに意味が深い。つまり水俣湾ではチッソの流した汚水で貝類が全滅したわけです。それが一九七三年(昭和四八)になって、つまり二十何年か経って、またカキが戻ってきたのです。それでその年とった漁師が心から喜んでいるのです。海が生き返ったということですね。しかしほんとうは海は生き返っていないんです。いまでも水俣湾の魚は食えないし、そこでの貝は食べてはならないことになっている。つまり、海は生き返っていない。生き返っていないんだけれども、その漁師は「このカキは……」と言って喜んでいる。
 公害反対運動というものの思想性とは、まさしくこういうことなのでしょうね。土本さんはこの場面で、まったく反対の一場面を入れることだってできたはずです。海は死滅していると、海は死滅したままだと、(…)しかし(…)その老漁夫は、そうつぶやいて喜んでいるのです。(…)カキが戻ってくるという状況があるとすれば、チッソも喜ぶかもしれません。あるいは熊本県庁や環境庁も喜ぶかもしれません。しかしその環境庁やチッソの喜びかたとはちょっと違った喜びかたを、かつて漁師だった患者さんはしているのではないか。そのちょっと違ったところに、じつは大きな隔たりがあることは、言うまでもありません。
(194-195ページ)



その「ちょっと違ったところ」を感じる著者の鋭敏さ。
いや、感じるだけなら、たぶん多くの人が感じるだろう。その感じることの大切さを、こうして指摘することがすごいのだ。大切なことを大切だと本当に知っている、ってことだから。

水俣湾は、1997年7月に安全宣言が出され、漁業も行われている。
それもヘドロがたまっていた地域を埋め立てたり(いまはエコパークになっているらしい)、汚染された魚をあつめて焼く・ドラム缶につめて埋立地に埋める等をした結果、ようやく。(参考:水俣病資料館

あああ。

自分の研究に関していえば、栗原貞子と石原吉郎との交流がどの程度であったのか、どのようなものであったのか、気になるところ。

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はじめてのナショナリズムに(アンダーソン『増補 想像の共同体』)
2009年03月20日 (金) | 編集 |
想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行 (ネットワークの社会科学シリーズ)想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行 (ネットワークの社会科学シリーズ)
(1997/05)
ベネディクト アンダーソン

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ベネディクト・アンダーソン『増補 想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行』(白石さや・白石隆(訳)、NTT出版)

もはや古典と呼ばれているであろう本、先月ようやく読了。
一つ一つの細かい論を、全部きちんと理解したとは言い難いにもかかわらず、わくわくしながら読めた。時々そういう本がある。それはきっとそうした本が、全体の雰囲気の次元で、新しい物事の見方を指し示し導いてくれているからだろう。
そんな「全体の雰囲気の次元」を構成しているのは、もちろん一つ一つの語なのだけれど。
不思議だなあ。まさしく思議せず(不思議)の領域。

どこにあったか今ちょっと見つけられないのだけれど、「言語は排斥の手段ではない」という一文が強く印象にのこっている。
それから、第ⅩⅠ章「記憶と忘却」にあった、ルナンの『国民とはなにか』の読解がすんごく深くて面白い。どきどきした。

…いろいろ面白い本や読(んで)みたい本は沢山あるのだけれど、本当に必要な本というのはそう多くない、というか、多くないようにすべきだ。読み手である私が。
なぜなら、何度も繰り返し読む/ゆっくり時間をかけて読む、という読書法をとるべき本があって、そのためにある時間はかぎられたものだから。

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ブラトノイ(『内村剛介ロングインタビュー』)
2009年03月20日 (金) | 編集 |
内村剛介ロングインタビュー内村剛介ロングインタビュー
(2008/07)
不明

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『内村剛介ロングインタビュー 生き急ぎ、感じせく―私の二十世紀』(陶山幾朗(編集・構成、惠雅堂出版)

読んでから大分間があいてしまったけれど。

繰り返しになりますが、言語それ自体に興味があるんじゃない。言語という素材を使って、人がどういう表現をするかということ。言語という万人共通の資料をどのように使うか。文法的に言えば、シンタクシス(統辞論)なんでしょうが、しかしあなたもおそらく経験があるように、書いていてこれはどうにも俺の文章じゃないという事態にしょっちゅうぶつかるでしょう。それで、人は書き直し書き直しする。あれはやっぱり自分のリズムに合うまでやってるんですね。他人から見れば、意味は同じだからそんなことどっちでもいいじゃないかとなるかも知れないが、でも、どっちでもよくはないんで、そのとき人は自分固有の文章を探しているんですよ、それは誰もそうしているはずです。そういうことを僕は他人の文章について見て行きたいわけ。
(75-76頁)


この人の、こういう志(といっていいと思う)はとても素晴らしいし、学びたい学ばねばと思う。のだけれど、同時にその「見て行」き方が強すぎて、弱い人間につらくあたることもあるのだろうなと思った。勿論、つらくあたるのが悪いということではない。
たとえば、ソ連に抑留された日本人たちの「帰国(ダモイ)」について述べたところ。

 ええ、全員が知っていました(ソ連が1947年に死刑を廃止していたのを、戦後当地に抑留されていた日本人たちが知っていたということ―引用者注)。そして、本当はわれわれは死んでいたはずなのに、そのことは棚上げして、生きているという事実だけを踏まえてですね、「生き残ったからには日本へ帰らなきゃいかん」というのが彼らの発想なんですよ。たしかにソ連が万事において乱暴極まりない国家であったとしても、しかし両国の間で戦争という事実は紛れもなくあったのだし、そうだとすれば、そのことに対する責任は日本人の誰かが負わなければならないだろう。言うならば、それが運命というものなのではないか、と僕には思えました。
 そのとき彼らは「いや、それはわれわれの意志ではなかった。命令によって、軍に狩り出されてやったことなんだから、そこで人を殺そうがどんな非道をしようが、それは命令した人間に罪があるのであってわれわれは関係ない」という論理を持ち出すわけです。しかし、「いや、そうではない。命令した人間はもちろん罰を受けるけれども、しかし実際に手を下した当人も実行犯として裁かれるのは当たり前なんだ。それが戦争の論理というものではないか」と僕は主張したように思います。それに、あなた方は二言目には「敵側のことは知っちゃいない、帰るんだ」と言うけれども、いったい敗戦国日本に帰ってどういう風に自分の存在を釈明するのか。今日は雛祭り、明日は端午の節句と指折り数えてばかりいる前に、自分は果たして今何故ここにいるか、そしてその場所をどうして日本に移さねばいけないのか。移ったなら移ったで、打ちひしがれた日本国民に対してどんな申し開きをするのか、それを考えるべきではないかと。日本に帰る権利があるので帰ってきた? そうは行きませんよと。
(143-144頁)



ここには色々な問題があげられているから、簡単に感想めいたことを書くのは危険だけれど、少しだけ。
まず、上では被抑留が「実際に手を下した当人も実行犯として裁かれ」た、その罰として捉えられているように思われる。では、
・罰だとして、それは適当かつ正当なものかどうか。(少なくとも、ソ連が日本人抑留の「理由」として主張した内容の不当性は、内村も書いている。)
・罰を受けることは当然として、しかし望郷が人の心に起こることは非難されるべきものかどうか。
・日本に「移ったなら移ったで、打ちひしがれた日本国民に対してどんな申し開きをするのか、それを考えるべき」とはいうけれど、そんな余裕がある人ばかりではないだろう。むしろ、そんな余裕がない人のほうが多かったのではないか。(だからといって、そうした人たちを私が好きなわけではないけれど)そうした〈人の性情〉とでもいった部分は、否定されるしかないのだろうか。
・・・こうした3つをふと思った。

内村という人は、とても頭がよく、立派で、きっと私はこういう人になりたいのだろう。
けれども、みんながそうなれるわけではなく、またそうなる必要もないし、違った素晴らしさも人にはあるということを忘れてしまいそうだ。
私は人を責めたくないし、責められたくない。ああ、この順番は逆だ。まず責められたくない。そうだろう、そういう保身の気持ちがありますよ。
責めたり責められたりするような、要するに何かしらの大失敗なんて、世の中になけりゃいいと思う。
でもそうはいかないということも分かってる。

ブラトノイの章が面白かった。


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ようやく
2009年03月20日 (金) | 編集 |
母のことがひと段落。


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【買った本】6冊
2009年03月20日 (金) | 編集 |

・花田清輝『鳥獣戯話・小説平家』(講談社学術文庫)
・鹿野政直『近代日本思想案内』(岩波文庫)
・新井白石『読史余論』(村岡典嗣(校訂)、岩波文庫)
・イマニュエル・カント『美と崇高との感情性に関する観察』(上野直昭(訳)、岩波文庫)
・マルセル・モース『贈与論』(吉田 禎吾・江川 純一(翻訳)、ちくま学芸文庫)
・吉田光雄『ナチ・ドイツと言語~ヒトラー演説から民衆の悪夢まで~』(岩波新書)
・ジャック・ロッシ、ミシェル・サルド(共著)『ラーゲリのフランス人―収容所群島・漂流24年』(外川継男(訳)、惠雅堂出版)

最後の一冊は古本屋で。
私の魂は、本当にこれらの本でなりたっているのだろうか?いくのだろうか?

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年金の運用のこと
2009年03月01日 (日) | 編集 |
またもや、とんでもないことが。

*****毎日jpの記事より*****
年金運用:損失5.7兆円 過去最大 2009年2月27日 20時12分
 厚生労働省所管の年金積立金管理運用独立行政法人は27日、08年10~12月期の年金資金運用結果を公表した。市場運用分は収益率マイナス6.09%で、四半期ベースで過去最大の赤字幅となる5兆7398億円の運用損となった。08年4~12月期で8兆6738億円の赤字と、通期で過去最大の赤字だった07年度の5兆8400億円を既に上回っている。

 年金資金は01~07年度で累積黒字が約10兆3400億円あったが、08年4月からの9カ月間で約1兆6700億円に目減り。株価は年明け以降も下落傾向にあり、年度末には黒字をすべてはき出してしまう可能性もある。

 市場運用は、国内債券で1兆5105億円を稼いだものの、株式急落と円高が影響し、外国株は3兆4763億円の赤字、国内株は2兆6638億円の赤字を計上した。

 同法人は財投債を含め計116兆6299億円(うち市場運用分90兆4349億円)を運用。10~12月期は財投債で796億円の収益があり、運用資産全体では5兆6601億円(収益率マイナス4.68%)の赤字運用だった。【吉田啓志】
**********

年金積立金管理運用独立行政法人のHPの「沿革」によれば、同法人は1961(昭和36)年11月25日設立された年金福祉事業団がはじめ。
その後、1986(昭和61)年4月18日に年金資金運用事業を開始。財政投融資借入による年金資金の運用を開始。(それまで何をしていたのか?)
2001(平成13)年4月1日、年金資金運用基金の設立。厚生労働大臣から寄託された年金資金の運用を開始。
2006(平成18)年4月1日、年金積立金管理運用独立行政法人になった。

現在の理事長は、川瀬隆弘。
1965年に東京大学経済学部卒業後、日本銀行に入行。調査統計局次長や企画局長等を経て1988 年に退職。マッキンゼージャパン勤務等。
2001年、日本銀行監事。2005年、年金資金運用基金理事長となった。

実際の運用は、「シロウト」の同法人の事務職員ではなくて、「プロ」の金融機関に委託しているそうなのだけれど、だとしたらとんでもないプロがいたものですね。

私は実際に年金を払っている、いや、払わされている国民ですから、文句を言ってもよいですよね。
でも文句をいってる暇もないし、さっさと問題解決案について考えたほうがよいですね。

それにしても、運用実績の金額がはじめの2001年度を除いてみんな兆単位なの。
こりゃもう縁遠い世界のようで、いかんいかん。現実感を持たねば。

お金のために命を棄てる必要はないけれど、
お金のせいで命をとられる人はいるわけで。

そういえば、昨年だったかやたらと政治家がドバイに出張していたようだ。
そのドバイも今は無惨なことになっているようだ。
一体、政治家は何をしにドバイに行ったのでしょう?
はじける前のバブルの中で遊ぶためではないはずとは思いますがね。
母のことから、この国の医療制度まで
2009年03月01日 (日) | 編集 |
2月ではうまくいかなかったので、
今月ふたたび入院等々だそうです。

この国の医療制度、健康保険制度や、父の稼ぎのおかげで、
母も検査や入院、手術を安全に受けられるのです。
そのことを有り難いと思わない日はありません。

そして同時に、
保険料の支払いすら難しい人がいる
(それもきっと少なくなく、増加しているのではという心配もあります)、
ということも考えない日はありません。

あまり景気のよくない話ばかり世間に流れるこんな時期に、
またこうやってここでも湿っぽい話をするのもどうなのか、とも思いますし、
だから明るい元気なことを書くほうが、周囲にも元気な力を与えられるし、好かれるのでは、とも思いますが…。
しかしそれは、どうやら私の性質とは余りそぐわないようです。
全く不可能とはいいませんが…。

とりあえず私は、自分の幸せを書くのもイヤです。
自分の不幸を書くのもイヤです。

そういうことを書けてしまえる人が羨ましい。

しかし一体、読んでいてきもちよい文章ってなんなんでしょう。

ああそうです、私は寛容さのある文章が好きです。
寛容さのない明るさや力強さや前向きさは苦手です。
寛容さのある文章は、それが極めて私的な内容でも、読んでいて落ち着きます。

落ち着く。安定感があるからでしょうか。信頼できそうだと思うからでしょうか。

私が自分で一番安定する時というのは、
おそらく世間に怒っている時です。
それはきっと、あまり幸せなことではないように思います。
自分で書いてしまうのもアレですが、少し悲しい性質な気がします。

でも悲しくてもそういう性質であっても、勿論明るく元気な時もありますし。

天気が悪いのがいけないんだ。そうに違いない。
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