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学問の大禁忌は作輟なり。或は作し或は輟むることありては遂に成就することなし。故に片時も此の緩がせなくするを、その志を持すると云う。(吉田松陰、「講孟箚記」安政二年七月二十六日)
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吾妻鏡対玉葉(佐藤進一『日本の中世国家』)
2008年06月14日 (土) | 編集 |
日本の中世国家 (岩波現代文庫 学術 173)日本の中世国家 (岩波現代文庫 学術 173)
(2007/03)
佐藤 進一

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佐藤 進一 (著)
『日本の中世国家』(岩波現代文庫、2007/03)

1983年の本。うわー。
とても有名な本らしいのだが、不勉強な私は今更ながら読みました。
そして白状すると、なんとなくの理解しかできませんでした。
そういえばこの人の『古文書学入門』も、持ってる…全然開いとらん。
本を読んでいくってのは、恥をさらしていくってことなのだな。つくづく。

内容だが、無学の私がどうこう言えるものではないので、純粋にそのまま読んで面白いとおもったところについて。それは第2章「鎌倉幕府」の、梶原景時の誅死事件(1200年)のはなし。
源頼朝の死後、結城朝光の「忠臣は二君に仕へず」といって出家遁世しようとしたのを、景時は新しい主君の頼家に讒訴した。けれども逆に景時は、三浦義村や和田義盛らの有力御家人連中から弾劾を受けて鎌倉を追放され、さいごは駿河で幕府軍に討たれた…というのが『吾妻鏡』の所伝。
でもそうではなかった、御家人らが頼家を廃して、その弟・実朝を擁立しようと企てていたのを、景時は頼家に告げ口して、ところがその企てが無実だったから、景時は鎌倉を追放された…というのが『玉葉』からの内容。
そして著者の佐藤先生は、

景時のいう御家人らによる将軍廃立の陰謀は、仮りにそれが事実無根であったとしても、景時の讒訴が一時的にせよ奏功する背景として、有力御家人らの反頼家の気運があり、これに対して景時は頼家を支持する側の代表者であったのではないか。さればこそ時人は景時追放を以て頼家の「不覚」(愚管抄、巻六)とした、つまり頼家にとって大事な右翼を頼家みずから切った失策と評したのであろう。
(107頁)


と述べてらっしゃる。
こう考えられる背景として、本文では既に幕府成立以前の関東武士らの模様であるとか、頼朝の狙いであるとかが論じられているから、だからますます上の説明も納得なのだが。
おーーーーーもしろい。
すーーーーーごいなあ。
しかし残念ながら私は第2章あたりまでついていくのがやっとで、第3章は目で字を追うのがやっと。
歴史の勉強をしなおして、いずれ再挑戦ということで。

本の章立て:
序章「律令国家について」
第1章「王朝国家」
第2章「鎌倉幕府」
第3章「王朝国家の反応」

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2008/06/14(土) 08:49:42 | 院生の穴蔵
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