FC2ブログ
学問の大禁忌は作輟なり。或は作し或は輟むることありては遂に成就することなし。故に片時も此の緩がせなくするを、その志を持すると云う。(吉田松陰、「講孟箚記」安政二年七月二十六日)
スポンサーサイト
--年--月--日 (--) | 編集 |
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

エウカリスチア(米田彰男『神と人との記憶』)
2008年12月31日 (水) | 編集 |
一ヶ月以上ブログ更新していませんでしたね。
いやはや。
退屈は悪、というのが私の信条ですが、怠惰は罪というのもそうです。
まあ私の信条なぞ羽毛よりも軽いのだが。

神と人との記憶―ミサの根源神と人との記憶―ミサの根源
(2003/09)
米田 彰男

商品詳細を見る

米田彰男(著)
『神と人との記憶 ミサの根源』(知泉書院、2003年)

これはとても面白く勉強になった本でした。
著者はキリスト教理解の鍵として「聖書」と「エウカリスチア(感謝の祭儀・ミサ)」をあげ、特に後者を研究されている方のようです。

やはり一番印象深かったのは、最後の晩餐のときのイエスの言葉「わが記念として、これを行え」、いわゆる(?)繰り返し命令(アナムネーシス命令)の解釈をめぐる考察部分。「私の記念」とは「私の記憶」のことであり、記憶とは思い出すこと。では誰が、いつ、何を思い出すのか、という問題について。

これまで私は、てっきり弟子(や時代が下ってはミサに与る信徒たち)がイエス・キリストを思い出すように行え、ということだと思っていたのだが、はじめから全然違った。神が思い出すため、だそうだ。

その他、「思い出すこと」について等々、考えさせられた。
既にその大半を忘れつつあるので、また読み返したい。

FC2 Blog Ranking
人気ブログランキングへ
にほんブログ村 本ブログ 読書備忘録へ
にほんブログ村 本ブログ 学術・専門書へ
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。