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学問の大禁忌は作輟なり。或は作し或は輟むることありては遂に成就することなし。故に片時も此の緩がせなくするを、その志を持すると云う。(吉田松陰、「講孟箚記」安政二年七月二十六日)
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ラビってどういう人なのか(クシュナー『なぜ私だけが苦しむのか』)
2009年02月16日 (月) | 編集 |
なぜ私だけが苦しむのか―現代のヨブ記 (岩波現代文庫)なぜ私だけが苦しむのか―現代のヨブ記 (岩波現代文庫)
(2008/03/14)
H.S. クシュナー

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H. S. クシュナー(著)、斎藤武(訳)
『なぜ私だけが苦しむのか 現代のヨブ記』(岩波現代文庫)

これもいつ読んだんだっけ?
「現代のヨブ記」の副題に惹かれて購入。
これは・・・およそX年前、私につまらないセッキョウをかまそうとした人たちが読んだら、どう思うかしらね。と、イヤな気持ちになるのは私がまだまだ著者ほど人間ができていないからなのだけれど。(この「人間ができていない」とか、逆に「できている」とか、その意味するところは、幸せなことではなくて、とても悲しいことが関係しているようにも思うが。)

この本では、第1章のはじめに次の問いをあげる。

「なぜ、善良な人が不幸にみまわれるのか?」(2頁)

ヨブ記の主題もこれ。まったく、どうしてなのか。
この問いに「だって世間はそうなってるんだしー」とか「弱いからだよ」とか、ともかく答えを出してしまっている人もいるだろうなあ。つうかいる。ああ全く、それらこそが善良な人の不幸の原因ですね。答えを出している人たちも、そりゃあ善良な人たちでしょう。ああ全く、他人の不幸どころか自分の不幸まで作ってるなんて、恐れ入ります。

上の問いは、しょっちゅう忘れがち(忘れられるなんてシアワセな時間を持っているものだね、私も)だけれど、しょっちゅう思い出していたい。
個人的には、内扉に引用されていたサムエル記12章22-23節に衝撃を受けた。

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