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学問の大禁忌は作輟なり。或は作し或は輟むることありては遂に成就することなし。故に片時も此の緩がせなくするを、その志を持すると云う。(吉田松陰、「講孟箚記」安政二年七月二十六日)
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鋭敏な感覚あってこそ(日高六郎『戦後思想を考える』)
2009年03月20日 (金) | 編集 |
戦後思想を考える (岩波新書 黄版 142)戦後思想を考える (岩波新書 黄版 142)
(1980/01)
日高 六郎

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日高六郎『戦後思想を考える』(岩波新書)

奥付をみると第一刷が出たのは1980年12月。
もう30年近く前なのに、内容が全くといっていいほど古く感じられないのは、すごい。
目次をあげるだけでも、とっても価値があると思う。

 目次
戦後思想を考える
体験をつたえるということ
私のなかの「戦争」
「滅公奉私」の時代
管理社会化をめぐって
青年について
四・一九と六・一五
水俣から考えること

このうち最後の「水俣から考えること」の、こんなところが印象的。

土本典昭さんの映画に、『不知火海』があります。私はその最初の出だしのところでほんとうに感動しました。字幕にこう出てきます。「水俣湾、月の浦、昭和四八年一二月」と。そしてそれと同時に絵が出てくる。まず浜辺があるわけね。そしてそこにひとりの年とった漁夫が立っている。その年とった漁師がそこの海岸の岩からカキを取り上げて、つぶやくのです。「もうカキは増えておるですね。もうこの調子ならばまあ二年ぐらいしたら、そうとう増えますよ」とこう言っているのです。それが最初の場面です。
 これはほんとうに意味が深い。つまり水俣湾ではチッソの流した汚水で貝類が全滅したわけです。それが一九七三年(昭和四八)になって、つまり二十何年か経って、またカキが戻ってきたのです。それでその年とった漁師が心から喜んでいるのです。海が生き返ったということですね。しかしほんとうは海は生き返っていないんです。いまでも水俣湾の魚は食えないし、そこでの貝は食べてはならないことになっている。つまり、海は生き返っていない。生き返っていないんだけれども、その漁師は「このカキは……」と言って喜んでいる。
 公害反対運動というものの思想性とは、まさしくこういうことなのでしょうね。土本さんはこの場面で、まったく反対の一場面を入れることだってできたはずです。海は死滅していると、海は死滅したままだと、(…)しかし(…)その老漁夫は、そうつぶやいて喜んでいるのです。(…)カキが戻ってくるという状況があるとすれば、チッソも喜ぶかもしれません。あるいは熊本県庁や環境庁も喜ぶかもしれません。しかしその環境庁やチッソの喜びかたとはちょっと違った喜びかたを、かつて漁師だった患者さんはしているのではないか。そのちょっと違ったところに、じつは大きな隔たりがあることは、言うまでもありません。
(194-195ページ)



その「ちょっと違ったところ」を感じる著者の鋭敏さ。
いや、感じるだけなら、たぶん多くの人が感じるだろう。その感じることの大切さを、こうして指摘することがすごいのだ。大切なことを大切だと本当に知っている、ってことだから。

水俣湾は、1997年7月に安全宣言が出され、漁業も行われている。
それもヘドロがたまっていた地域を埋め立てたり(いまはエコパークになっているらしい)、汚染された魚をあつめて焼く・ドラム缶につめて埋立地に埋める等をした結果、ようやく。(参考:水俣病資料館

あああ。

自分の研究に関していえば、栗原貞子と石原吉郎との交流がどの程度であったのか、どのようなものであったのか、気になるところ。

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