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学問の大禁忌は作輟なり。或は作し或は輟むることありては遂に成就することなし。故に片時も此の緩がせなくするを、その志を持すると云う。(吉田松陰、「講孟箚記」安政二年七月二十六日)
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愛せませんか(花田清輝『鳥獣戯話/小説平家』)
2009年04月20日 (月) | 編集 |
鳥獣戯話;小説平家 (講談社文芸文庫)鳥獣戯話;小説平家 (講談社文芸文庫)
(1988/10)
花田 清輝

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花田清輝(著)『鳥獣戯話/小説平家』(講談社文芸文庫)

半月ばかし前に読んだのをまた書いてなかった。
というわけで、読みたてホヤホヤの熱がまた冷めてしまったというか、忘れてしまった。
でも面白かったです。

『鳥獣戯話』のほうの「みみずく大名」は、以前読んだことがありました。
そこで武田信虎の迫力というか魅力に興奮したのでした。

『小説平家』のほうは、今回はじめて読みました。
平家物語の作者を海野小太郎幸長という人物だと仮定(?)したところから、いやあ素晴らしい展開。
自分のかつてのゼミ等の関連からあげると、第五章「聖人絵」で親鸞(の曾孫)と話がつながった時は、なんだかもう不思議な満足感でした。

文庫のうしろのほうに、佐々木基一氏による「著者に代わって読者へ」で引用されている花田の一文が、本当にぴったり。
(ということは、佐々木基一という人はとても素敵な読み手なのだろう。)

「花鳥風詠」という短いエッセイの中で、花田清輝はこんなことを云っている。
「人間が人間を愛するということは、算術しか知らない連中が、いきなり、高等数学の問題を解こうとするようなものであって、われわれはまず、人間を愛する前に、木や岩や雲を愛することからはじめなければならない、といったような意味のことを、どこかでカーソン・マッカラーズの小説の登場人物の一人がいっていた。名言である。花鳥風詠とは、本来、そういうものなのであろう。
 (中略)
 したがって、わたしは、高浜虚子ではないが、花鳥風詠からはじめることに大賛成だ。しかし、そこでおわってしまっては、つまらないとおもう。それは、あくまで第一課である。われわれは、鉱物から植物へ、植物から動物へ、そして、動物から人間へと――つまり、一言にしていえば、われわれの心をひかれる対象を、段階を追って、しだいに単純なものから複雑なものへと、取り替えて行くべきであった。」
(385ページ)



ああ、強いなあ。
ただし私が思うに、やっぱり、なにかを愛していくことというのは「そこでおわってしまっては、つまらない」からすることなんだ。(まあ更に思うに、生きてく何事もつまらないことにならないようにすることなんだけど。)

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