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学問の大禁忌は作輟なり。或は作し或は輟むることありては遂に成就することなし。故に片時も此の緩がせなくするを、その志を持すると云う。(吉田松陰、「講孟箚記」安政二年七月二十六日)
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もっと語って(円地文子『江戸文学問わず語り』)
2009年05月18日 (月) | 編集 |
江戸文学問わず語り (講談社文芸文庫)江戸文学問わず語り (講談社文芸文庫)
(2009/01/09)
円地 文子

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円地文子(著)
『江戸文学問わず語り』(講談社文芸文庫)

4月末頃に読んでた本。
あいかわらず文芸文庫は高いなあ。でも「解説」や「年譜」つきだから仕方ないというか、それでこの価格はむしろありがたや。
5月初旬の連休に、千葉の館山へ行こうと思っていたんだけれど、そしたらこの本の中に滝沢馬琴(と「南総里見八犬伝」など)について語られていて、不思議な縁でした。

他にも四世鶴屋南北やら上田秋成やらを語られて、最期に近松門左衛門。

 近代文学においては、西鶴の非情な眼を近松の底暖い人生観に較べて、より高度なものに評価したがる傾向がありますが、秋と春とを較べて、優劣を争うようなもので比較しようのないものを比較しているのです。
(209ページ)

 近松の文学が文章のなまめかしく艶な魅力のあることは確かですが、その艶なものを支えているのは彼の人生を見る暖い愛の眼です。傑れた禅僧のように勁く鋭く、人間の内蔵しているものを見ぬくのも愛の一表現でしょうが、近松のように、溺れて行く弱い人間たちといっしょに浪間を浮きつ沈みつ漂いながら、相手を抱き掬い上げようとする愛も決して甘いなどと言えるものとは思えません。
(219ページ)



ああ、近松の浄瑠璃を見たことがない自分がうらめしい。が、それは措く。
こうした円地の読み方は素敵だと思うし、その感性や教養の深さが文章から伝わってきて、なるほどなあとしみじみ思う。
けれども同時に、私がやりたいのは・書きたいのはこういうことではなかった、と強く思った。
文芸作品の作者について知ることは、勉強としてとても大事なことだ。けれども興味の重点は最終的に作者個人にあるのではない。作品を通して感じることが基本だし、またそこに帰ってくるように思う。

自分で書いててよくわからん。(こればっか。)

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