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学問の大禁忌は作輟なり。或は作し或は輟むることありては遂に成就することなし。故に片時も此の緩がせなくするを、その志を持すると云う。(吉田松陰、「講孟箚記」安政二年七月二十六日)
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悟ったわけではないけれど
2009年08月16日 (日) | 編集 |
およそ2ヶ月前、自分の身に起きたこと(今後も死ぬまで続くこと)ではげしく動揺した。
そんなとき読んだ新聞に、悲劇的な事件が沢山載っているのが目につき、さらに絶望した。

涅槃というのは「死んで二度とこの世に生まれかわらないこと」という。
わたしは2ヶ月前、それを強く望んだ。
その望みは今も変わらない。

この年齢まで生きれば、どんなに呑気な人生でも、多少は苦しむこともあるし、世間を見てもっともっと大変な人たちに共感や同情して悲しいこともある。
けれども、せいぜい「次に生れるときは荒野のサボテンがいいなあ」と思う程度だった。
二度と生まれてきたくない、などとは思わなかった。思えなかった。
「だってやっぱり素晴らしいことは沢山あるもの」と単純だった。
その単純さがよいのかわるいのかは知らない。でもわるいような気がする。

あれから2ヵ月たって、最もおそろしい可能性には目を瞑って
(「最も恐ろしい(こと)」がどんな状態なのかも考えたくない。 恐ろしさとはそういうものではないか?)、
幸せな気持ちになることも多々あり
(幸せすぎて、ある日突然死の宣告を受けるのではないかとおびえている)、
それでもやはり、もう二度とこの世に生れたくないと思う。

と、ここで考えるのは、キリスト教はつらいなあということ。
最後の審判で地獄行きが決まって、そこで永遠に苦しむよりは、ずっと死んだままにしておいて欲しい。
(自分が天国へ行ける自信はないからね。)
それよりは、果てしなく輪廻してても、いつかそこから抜け出せるかも、という留保があるほうがまだマシ。

こんな自分の考え程度で宗教を選んで決められるとは思ってないけれど。

ちなみに、私は「本気で輪廻転生を信じてますッ!」と言っているわけではない。
もっと素朴なはなしをしているのです。

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